鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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という個別の部位に関わる描写と定義されるが、アピアヌスは地球の球体(地理学)と人間の頭部を、都市の景観(地誌学)と人間の目や耳の描写を併置することで、両者の違いをはっきりと視覚化したのである(注4)。続いてドュ・ピネは『宇宙形状誌(コスモグラフィ)に役立つ植物およびいくつかの都市像やその描写』(1564年)と題する選集のなかで、プトレマイオスの定義を引き継ぎながら、「地誌学」とは「ただ描写される場所の形や向き、それに付随するものをできる限り近くから、実物通りに表すことのみ」を目的とするとし、「地誌学」に「実物に即した(実景に基づいた)」描写という概念を付加した(注5)。以下、「実景に基づく」描写というこの概念に留意しながら、アントウェルペンで16世紀後半に制作された「地誌的」な要素を持つ風景表現の作例について考察していきたい。2.身近な風景─16世紀後半の風景版画シリーズ─一方、後の手により「ブリューゲルが成した」というサインが加えられ、現在では先に見た「小風景画」シリーズの周辺の画家の手によると考えられている素描〔図1〕では前景に広がる牧草地の背景に都市景観が描かれ、聖母大聖堂などいくつかの特徴ある建物が同定できることからアントウェルペンの都市像であることがわかる。そしてさらに詳細な細部により、北側から見た都市の景観のシルエットが背景に広がるこ1559年と1561年にアントウェルペンの版画出版業者、ヒエロニムス・コックによって発行された「小風景画」シリーズは「地誌的」な風景表現の非常に早い作例といわれるものである。このシリーズは17世紀初頭に版を重ね、のちにオランダで展開することになる田園風景の描写に直接的な影響を与えたことが指摘される(注6)。1559年刊行の第一シリーズでは、タイトルページにより、農家や畑などを含む村の情景がアントウェルペンの近郊の「実景に基づく」ことがはっきり示されていた。「実景に基づくnaer dleuen(naer het leven)」という言葉と、描かれた場所をはっきりと示すことで、本シリーズが特定の場所を正確に記録するという地誌的な関心に基づいて刊行されたことを明らかにしている。続く1561年の第2シリーズの表紙では、銘文はラテン語のみで記されている。「実景による」や「写生」を意味するラテン語の「ADVIVUM」が、描かれた図像の信憑性を保証する一方で、ここではその景観がアントウェルペンの近郊であることは明記されていない(注7)。様々な農村の情景にその場所を特定できる手がかりを描き込むことは必ずしも意図されていないことがわかる。― 207 ―

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