鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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の田園風景は、アントウェルペンの北に位置するオーステルウェールの村を描いたものと推察されている(注8)。一方、先の「小風景画」シリーズに見られるような農村風景は、それが「実景に基づく」ものであることが強調される一方で、場所を特定されない、ある意味、より普遍化された文脈におかれているということが重要であるように思われる。このことは、これらの版画シリーズが、『アルバム・エレラ』の名で知られるスケッチ集(ベルギー王立図書館蔵)と同じように、風景を豊かにする要素のレパートリーを提供していたという説を裏付けるものであろう(注9)。実際、カーレル・ファン・マンデルは、1604年に刊行された『絵画の書』に付された芸術論、「高貴で自由な画術の基礎」の8章で「風景」について論じ、その冒頭で、若い画家たちに対して、「朝早く都市の門から外に出て、周囲の美しさを見る」ことを奨励している。「目にする多くのものが、実際に風景を描く際の助けになる」と述べるくだりは、こうしたスケッチの必要性を喚起させる(注10)。続く16世紀末に、アントウェルペンの版画商ハンス・ヴァン・ライクにより出版された2つの風景版画シリーズ、ハンス・コラールト1世が彫版した24点からなる「ブリュッセル周辺の景観」(1575−80年頃)(注11)とヤーコプ・フリマールの下絵をアドリアーン・コラールトが彫版した12点からなる「アントウェルペン周辺の景観」(1580年頃)もまた、地誌的な関心から生まれたことは明白である。しかし「ブリュッセル」シリーズでは、先の「小風景画」や「アントウェルペン」シリーズとは異なり、各情景に挿入された描かれた場所の名前と残っている5点の素描(フォッグス美術館蔵)により、景観が特定されているのである。初版には番号がないが、後の版の16世紀半ばにおいて、各都市の景観は、特徴的な建造物を正確に描き分けることで固有の景観を持っていた。そのため都市の景観は、こうした田園風景の背景に挿入されることで、描かれた情景を特定する「地誌的」な指標として機能しているということができる。このような都市のパノラマ景観は、都市自体が主題として描かれる、「都市景観図」の分野で登場してきた。広くは「都市図」のカテゴリーに含まれるこの「都市景観図」とは、一般に測量を基にした正確さに重きをおいた地図としての機能よりも、絵画的な景観描出を重視して作成されたもので、各都市の景観の特徴を集約的に表現したものを指す。当時「都市景観図」の多くは画家の手によるもので、印刷技術の普及にともない、木版や銅版によって一枚ものの都市景観図が相次いで刊行されていった(アントウェルペンの「都市景観図」の展開については本論3章で述べる)。― 208 ―

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