鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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順番に倣えば、本シリーズはブリュッセルの王宮〔図2〕から始まり、都市の南東の城壁とアル門を背景としたサン・ジルの景観、イクセル、スカラベークなど近郊の情景が続いていくことで、次第に近郊の村々を都市の機構に組み込み拡大していったブリュッセルの都市の存在を如実に感じさせる。一方でホーテケーテ(Hautekeete, 2000)が指摘するように、いくつかの場面では反転した情景が用いられており、必ずしも実景に忠実であることには注意が払われていないことがわかる(注12)。一方「アントウェルペン」シリーズでは、第一場面の下部にある「アントウェルペン周辺」というタイトル以外は、場所を特定できる手がかりは見られないのである〔図3〕。いずれにしても、「ブリュッセル」シリーズにおいてとりわけ顕著なように、これらの版画シリーズでは、統治者の住まう「王宮」と同様に小さな村や周辺の地域、名もない建物などが同等の主題として位置づけられている。個々の情景は単独の作品として描かれたものではないにせよ、「身近な風景」が主題となる確実な一歩が示されているのである。ここで、「地誌的」という概念を再考するためにも、再度プトレマイオスの「地誌学」の定義とその受容に立ち返っておこう。プトレマイオスは「「地誌学」とは描写されるそれらの場所のサイズや他の場所と比べた位置関係よりもむしろ、本質的な性質を問題とする。それらには真の類似性が与えられなければならず、そのため画家を必要とする」と述べている(注13)。これは、精確な数値や計測に基づく「地理学」に「数学者」が必要であることへの対概念とされてきた。しかし16世紀から17世紀にかけて量産された「地誌的」な「都市景観図」においてはしばしば、その景観が「観察」と「計測」の両方に裏付けられたものであることが示されていた。例えば16世紀におけるプトレマイオスの受容を示す好例であるウィリアム・カニンガムの『宇宙形状誌の鏡』(1559年)では、「宇宙形状学(Cosmography)」「地理学(Geography)」「地誌学(Chorography)」の差異をよく理解するために、それぞれの図像例を示すことが求められ、「地誌学」の例として、イングランド東部のノリッジの都市景観図(1558)が挙げられている。背景には詳細に描写された都市の景観が広がり、前景の都市の市壁の手前の田園風景では、小高い丘の上で測量をしている2人の人物により、「観測地点」が描き込まれているのである(注14)。ヌティ(Nuti, 2000)が詳細に論じたように、16世紀から17世紀における画家と地誌的な地図製作者(Chorographer)との境界は曖昧であり、制作方法、技法や器具など多くの点が両者に共通していた(上述したように多くの都市景観図は画家の手によって制作されていた)。そのため画家は、都市景観をいわば「絵画的に」描く際にも、― 209 ―

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