研 究 者:山口県立萩美術館・浦上記念館 専門学芸員 徳 留 大 輔 愛知県陶磁資料館 主任学芸員 森 達 也 福建省文物考古研究所 研究員 栗 建 安1、はじめに中国東南部に位置する福建地域は唐代以降、数多くの陶磁器が生産されてきた。その中でも宋元時代においては、武夷山、建陽、南平、閩清、福州などの閩江流域およびその周辺には古窯址が数多く発見されている〔図1〕。またこれらの地域で生産された白磁を始め、青磁、黒(褐)釉陶器は日本にも中世以来もたらされてきた。特に青磁や黒釉陶器は「茶道具」としても流通したことから、現在に至るまで伝世あるいは国内の遺跡からも数多く出土している。また近年の福建地域における調査の急増にともない、資料が増加している。その結果として福建における磁器生産の様相は、森達也氏が指摘するように福建地域の周辺地域の大窯業地からの影響、つまり西の江西省景徳鎮や南の広東省潮州の白磁、北の越州窯、龍泉窯の青磁の製品が流入することで、福建地域の窯業そのものが複雑な様相を呈している状況となっていることが明らかとなってきた(注1)。そのため生産地(福建)と消費地(日本・琉球)における器種分類が合理的に対応しておらず、製品の窯同定が未解決であり、各地域や窯間の窯業技術の影響関係の再整理が必要な段階にきている研究分野と言える。特に1)黒釉(茶)碗は、茶道資料館での展観により天目茶碗に関する研究がすすんだが(注2)、その後、茶洋窯、遇林亭窯などが発見され、さらに研究の蓄積がみられる。また日本で出土する天目茶碗の中には上述の3窯以外のものも多く確認されている。特に灰被天目を生産していたと想定される茶洋窯製品および周辺窯の影響関係など、近年調査が行われた資料も含めた閩江流域における黒釉碗の類型化が必要である。また2)「珠光青磁」と考えられる所謂「同安窯系青磁」の同定に関しては、同青磁は福建全域の窯で生産されており、日本出土の同製品の同定に関して同安汀渓窯、莆田窯など諸説ある(注3)。必ずしも一つの産地であるとは限らないので、同じく日本に数多く輸出される黒釉碗類の生産と流通の動態と合わせて考える必要があるものと思われる。以上の認識をもとに現地にての調査を中心に本研究を進めた。― 12 ―②中国福建省・閩江流域における陶磁器研究─宋元時代の黒釉茶碗および所謂同安窯系青磁を中心に─
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