鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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「現実」に対して信頼性のある空間を創り出すために、主要な建造物の位置においては計測の成果を反映し、しばしば景観には遠近法の知識に基づいて修正を加えた(注15)。一方「都市景観図」においても、都市や城壁の外側に広がる田園部分にはしばしば建物や橋、都市の入り口などの都市の構成要素に加えて、牧草地や畑、池や沼などの自然環境とともに人々の居住の様子が詳細に描き込まれていた。それらは景観に現実的な感覚をもたらし、ある地域の特徴を「総称的に」捉えたものと考えられていた(注16)。先に見た16世紀末の「ブリュッセル」と「アントウェルペン」の2つの版画シリーズ(および「小風景画」シリーズ)は、風景画のみならず都市とその周辺を描いた景観図の構成要素としても取り入れられていたことが推察される。場所や環境の多様な描写をいわばひとつの統一された空間のうちに再構成することで完成する風景画や景観図は、観る者に、描かれた場所の全体像と個々の特徴を同時に伝えることを可能とした。身近な風景を主題とした版画もまた、シリーズで出版されることで、個々の情景とその全体像を同時に観る者に提供しているといえる。しばしば指摘されるように、都市近郊の田園風景を主題とするこれらの版画シリーズが愛好された理由のひとつには、忙しい市民たちに頁をめくることで、周辺の心地よい場所を散策する「机上の旅」の楽しみを提供する目的を担っていたことが挙げられよう(注17)。3.拡大する都市─アントウェルペンの都市景観と周辺の田園風景─都市景観図には、しばしば都市の市壁の外側にある周辺の農村部の景観が含まれる。市壁は都市と農村の境界を示すとともに、農村の安全を守る都市の役割と都市の人口を支える農村の役割を同時に視覚化するものであった。ここで、16世紀におけるアントウェルペンの都市景観図の展開を簡潔に見ておきたい。16世紀初めのアントウェルペンの都市景観図は、都市に繁栄をもたらす港を中心として、すなわち都市の西側にあたるスヘルデ川の船の停泊地の側から見た図像で描かれていた。1542年、都市の拡大と要塞の強化を目的に着手された新たな要塞の建設は、完成に至るまでに15年という月日をかけた大規模な工事を必要とした。この工事により、拡張され、東西南北に走る運河が新しく掘られ、交通網が完備された都市の外観が急激に変化すると、それまではほぼ一貫して、都市に経済的な繁栄をもたらす、スヘルデ川の港と船の停泊地の側から描かれていた都市像に変化が現れる。要塞の工事が完了した1557年の年記のある、ヴァン・ホーレンによる《アントウェルペンの3つの景観》〔図4〕においては、スヘルデ川を前景に描いたアントウェルペンの景観― 210 ―

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