鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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を真ん中に、上下にそれぞれ北と南からみた都市像を配することで、都市の両方の側面を周辺の地域とともに表そうという試みが見られる(注18)。同じく1557年に出版された、《アントウェルペンの都市景観》(パリ、国立図書館蔵)〔図5〕では、東側から見られた市壁に囲まれた都市を背景に、牛のいる牧草地や農作業をする人々、都市に向かう馬車など市壁の外側の様子がかなり克明に描かれていることがわかる。こうした都市の外側の、農村の生活への関心が1550年代以降高まりを見せることは、ピーテル・ブリューゲルの下絵による、農民の縁日を主題とした2点の版画《シント・ヨーリスの縁日》や《ホボケンの縁日》(1559年)からも明らかであり、第2章で述べた身近な風景を主題とする風景版画シリーズも同様の関心から生まれたと考えられよう(注20)。一方、1570年後半には、田園の情景の背景に、アントウェルペンの都市景観を組み合わせたパノラマ的構図を持つ油彩作品が現れる。ギブソン(Gibson, 2000)が指摘したように、上述した都市景観図とともにこうした油彩画は「都市─田園」型構図として分類しうる小グループを形成している(注21)。この種の作例としては、ハンス・ボル作《アントウェルペンの景観》(1575年、ブリュッセル、ベルギー王立美術館蔵)〔図7〕、(1585年頃、ブレーメン、クンスト・ハレ蔵)およびヤーコプ・フリマール作《アントウェルペン近郊のキールの景観》(1578年、アントウェルペン王立美術館蔵)〔図8〕、《アントウェルペン近郊のスヘルデ川の景観》(1587年、アントウェルペン王立美術館蔵)〔図9〕が挙げられよう。ホーテケーテ(Hautekeete, 2000)が指摘したように、これらの作品は南ネーデルラントにおいて、版画の下絵としてではなく独立した作品として、都市とその周辺の村の景観を描いた最も初期の作例であると考えられる(注22)。田園風景の中で楽しむ人々を前景に描き、特徴的なアントウェルペンの都市のシルエットをかなり画面の奥に後退させて描いたハンス・ボルの作品〔図7〕では、前景右の船遊びをする人物たちは明らかに市民の装いであり、さらには橋を渡る幌馬車によっても都市と田園の往来が意識的に示されていることがわかる。同じくボルの《ス1562年に発行された同じくヴァン・ホーレンによる《アントウェルペンの都市景観とスヘルデ川》〔図6〕では、川の向こうに都市景観を望む従来の構図が取られているが、対岸にあるフランドルの農村風景が前景に広がるのを見ることができる。下部の銘文には「ここにスヘルデ河畔のアントウェルペンを、フランドルの農村風景とともに楽しくご覧いただけます」(注19)とあり、都市と農村の両方を描き出そうという明白な意図があることがわかる。― 211 ―

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