ヘルデ河畔の景観》(1578年、ロサンジェルス州立美術館蔵)〔図10〕では、背景の都市景観はほとんど確認できず、むしろ周辺部の村や人々の様子に焦点が当てられている。前景左には散歩を楽しむ人々の姿が、前景右では行商人が腰を下ろし、その後ろの、大きな旗が下がる建物がある広場では、縁日の準備が始まろうとしている。一方、ヤーコプ・フリマール作《アントウェルペン近郊のキールの景観》〔図8〕では、あたかも縁日からの帰りのような、浮かれた人々が馬車に乗ったり、歩いたりしながら右奥の都市へと続く道をたどる様子がより強調されて描かれ、《アントウェルペン近郊のスヘルデ川の景観》〔図9〕では、都市の喧噪を離れてやってきた市民たちがピクニックを楽しむ姿が前景に描かれている。版画「アントウェルペン」シリーズの下絵画家でもあるフリマールは、版画では、農村や田園風景の「日常」といえる情景を捉えていたのに対し、これらの油彩画においては、農村風景を彩る細部に共通するモチーフが見られるものの、都市から田園へと楽しみに出かける市民たちのいわば「非日常」へと焦点を転換していることがわかる。先に見たように、都市景観図においては1550年代末から1560年代にかけてすでに見られる、この「都市─田園」型構図が、1570年代後半になって初めて油彩画の主題として登場する背景には、1572年にケルンで刊行されたブラウンとホーヘンべルフによる『世界都市地図帳(CIVITATES ORBIS TERRARUM)』(〜1617年、全6巻)の存在があることを忘れてはなるまい。本地図帳に収められた都市景観の多くは、隣接した田園風景の広大な広がりの向こうに、側面図や鳥瞰図として表されているのである(注23)。こうした16世紀の都市景観図の特徴についてヌティ(Nuti, 1995)は、目の前の景観に「忠実であること」とそれが「本物らしいこと」とを融合したイメージであることを指摘した。「測量」や「観察」により精確に捉えられた「地誌的」な要素が、複数の視点を統合した鳥瞰図に─すなわち、もっともらしい全体像へと統合されているのである(注24)。いわば同様のやり方で「地誌的」な細部と統一された全体像を結びつけた「都市─田園」型構図は、結果として「世界風景」の伝統へと回帰しているように見える。ここで重要と思われるのは、都市景観図においては、最終的には主役である都市の永遠性が讃えられているのに対し、これらの油彩画において都市像は、かなり背景へと後退し、画面のかなりの部分を占める田園風景は、より逸話的なモチーフによって強調され、「個別化」されている点である。これらの油彩画を「世界風景」の図式をとる、ブリューゲルが下絵を描いた「大風景画」シリーズの《ネーデルラントの四輪馬車》― 212 ―
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