鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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47年以降カルティエ=ブレッソンがマグナムとして活動したことが関わりを持つ。彼がフォト・ジャーナリストとして、たとえばガンジーの死といった歴史的な瞬間をものにしていく中で、本来は撮影行為そのものの実践的、美学的意味合いを持っていた〈決定的瞬間〉という言葉が、歴史的な瞬間という意味に混同され、あるいは置き換えられてしまったという現象が、どうやらある。近年のカルティエ=ブレッソン研究で指摘されてきた〈決定的瞬間〉の問題や、現在のカルティエ=ブレッソン評価のありかたから、いくつかの問題が浮かび上がる。つまり、『ア・ラ・ソヴェット』以前のカルティエ=ブレッソンは、そもそもどのような文脈で評価され、提示され、受容されていたのか、また『ア・ラ・ソヴェット』以後も、〈決定的瞬間〉言説の影に隠れてしまったとは言え、他の角度から彼を評価する視点はなかったのかということである。〈決定的瞬間〉という言葉がカルティエ=ブレッソンという一人の写真家を離れ、写真の本質を表すものであるかのように受け取られる傾向があればこそ、この問題を探求することは、一写真家の研究の枠におさまらず、写真というものの今日的ありようを解明することに繋がるものであろう。本研究は、凡そ以上のような問題意識に立ったものである。以下では、33年の展覧会の際にジュリアン・レヴィがカルティエ=ブレッソンの写真に与えた「アンチ=グラフィック」という語に的を絞って、資料調査とそれをもとにした言説分析の結果の一端を報告したい。2.〈アンチ=グラフィック〉とドキュメンタリー・スタイルの生成レヴィ画廊が1933年にカルティエ=ブレッソンの展覧会を行った際に、その題名に〈アンチ=グラフィック〉という目新しい言葉を用いていること、また35年にカルティエ=ブレッソン、エヴァンズおよびアルバレス=ブラボの合同展でもこの言葉を題名に入れていることを考えれば、若きギャラリストがフランスの無名写真家に目を付けた時に、彼の中には一つの新しい美学が、すくなくともぼんやりとは形成されていただろうということは、疑いの余地がない。そしてそれが、この時期のカルティエ=ブレッソン受容にとって重要であるということも容易に想像がつく。しかし写真研究における受容研究の蓄積の少なさと、この語がその後の写真をふくめた美術の領域で定着しなかったということから、残念ながら、レヴィにとっての〈アンチ=グラフィック〉というものが何だったのか、解明されないままになってきたことも事実である。この語の概念を分析するには、いくつかの角度がありうるであろう。― 220 ―

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