鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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まず第一に、33年の展覧会に際してレヴィが用意した案内状やプレス・リリース(注5)を手懸かりに追ってみると、彼にとっての〈アンチ=グラフィック〉とは、どうやら彼が「グレイトS」と呼ぶ、当時すでに名声をなしていた写真家たち(アルフレッド・スティーグリッツ、エドワード・スタイケン、チャールズ・シーラー、ポール・ストランド)の作品の対極にあるスタイルを指す言葉であるらしい。当時のグレイトSと呼ばれる写真家たちの作品の意味合いを探ることで、そこから逆照射して〈アンチ=グラフィック〉という語を理解することも可能である。第二に、それとは逆に、この語の他の数少ない用例を探し出し、またレヴィがカルティエ=ブレッソン以外に〈アンチ=グラフィック〉と呼ぶ写真家たちを手懸かりとして、この語の定義を探ってみることも可能である。また、35年展の題名に組み込まれた「ドキュメンタリー」という当時まだ新しい語も、〈アンチ=グラフィック〉の位置づけとの関わりで見逃せない。本稿ではこの点について、もう少し具体的に話を進めたい。当時のレヴィ画廊には展示室が二つあったが、33年の際にはそのうち片方にカルティエ=ブレッソンの作品を展示、もう片方を「アンチ=グラフィック」と銘打って、他の複数の写真家の作品が併せて展示された。後者は、カルティエ=ブレッソンの写真の背後にある観念を、類例として示すという狙いがあったようである。そこで展示された写真家の顔ぶれについては、レヴィ自身の言及からほぼ特定できるが、実際に彼らのどの作品を展示したのかということになると、必ずしもその特定は容易ではない。名前が挙がっている写真家のうち、ベレニス・アボット、エヴァンズ、リー・ミラー、マン・レイについてはすでにレヴィ画廊での展覧会がこれ以前にあったこと、レヴィの持っていたコレクションの概要は今日ではある程度明らかになっているから、そこから想像することが可能ではある。いっぽう、クライトン・ピートとドロシー・ロルフという二人の写真家については、そもそも詳細がわからないし、レヴィのコレクションの中にも今のところ作品が見当たらない。ロルフのほうは、今日ではまったく忘れられてしまった写真家で、その活動の痕跡すら残っていない。新聞や雑誌の写真を撮っていた写真家である可能性が高いだろう。クライトン・ピートも同様に詳細は不明だが、30年代、40年代にいくつか写真とテクストを自分で制作した本を出している。本年度の調査の結果、この写真家の比較的早い時期の活動領域を推し量る僅かな手懸かりの一つとして、ゴー・ユン・レオンのテクストによる『チャイナタウン、その知られざる実態』(注6)の図版を見ることができた。これは当時、外部の者に― 221 ―

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