とそうでないものを注意深く混ぜた写真配列と構成およびカースティンのテクストによって、FSAの社会改良主義的コンテクストを覆い隠すために見事な効果を上げている。図版の選択についても同じことが言える。ここでは一例を挙げるにとどめるが、エヴァンズの作品として有名なものの一つ、「アラバマの綿小作農家の妻」(1936年)〔図2〕は、同時に撮影された写真が、少なくとももう一枚ある〔図3〕。貧困にあえぐ田舎の農家の妻というFSAらしい意味あいを求めるならむしろ後者を選んでもよかろう。しかしここでは、女が微かに微笑みを浮かべた前者の写真が、比較的明るめのプリントで収録されているのである(注8)。にもかかわらず20世紀の写真史を追ってみれば、エヴァンズという写真家は、トラクテンバーグを待つまでもなく(注9)、FSAプロジェクトとの関連で社会派ドキュメンタリー写真としての地位を与えられてしまうことになる。それを、カルティエ=ブレッソンがジャーナリズム寄りの文脈でイメージを形成していく事実と重ねてみると、20世紀の写真家たちの宿命のようなものにも思えてくる。レヴィが〈アンチ=グラフィック〉写真の例として、カルティエ=ブレッソンと共に取り上げた写真家たちが、それぞれに全く別の道を歩んだということは、〈アンチ=グラフィック〉というものが領域として成立しなかったことの一つの要因とも言えないだろうか。実は前述のカースティンのテクストの中では、〈アンチ=グラフィック〉という語が用いられ、カルティエ=ブレッソンも引き合いに出されている。このことは、レヴィとカースティンの間でこのレヴィの造語に関する一定の共通理解があったのだろうということに他ならない。にもかかわらず、その後、この言葉が使われて定着していくことはなかった。こうした経緯を考えるなら、〈アンチ=グラフィック〉は元来、意図的に視覚的な美しさを追求するスタイルでもなく、また何らかの意味(社会改良主義的なイデオロギーであれ、ジャーナリスティックなものであれ)を伝えるものでもない、偶発的、日常的な光景の作品スタイルを表していたのだろうという推測が成り立つ。と同時に、エヴァンズとFSAプロジェクト以降、「社会派」という言葉を付けずともそのようなニュアンスをもって捉えられるようになっていくドキュメンタリー写真という分野が、そもそもその出発点においては、「非=社会派」とも言うべき側面をも想定されていたのではないかという事実も浮かび上がってくる。初期カルティエ=ブレッソンの受容にかかわる〈アンチ=グラフィック〉という語を読み解いていくと、ドキュメンタリー写真というものの成立過程についても、新たなストーリーが見えてくるのである。― 223 ―
元のページ ../index.html#233