鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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(1−1)1878年1月18日付、長崎のH. M. フライシャー(Fleischer)よりコペンハーゲンのユリウス・シック(Julius Sick)宛の書簡では次のように記されている。「1878年1月18日長崎 Johs. マイヤー氏のリクエストによって、ホルトラインのアキレス号にて、ロンドン経由コペンハーゲンまで以下の4箱を送付いたしました。中には、日本の乗り物(人力車)、車夫と女性の等身大の像が入っています。写真を添付します。女性用の扇、傘、履物、着物と同様、車夫のものも揃っています。箱には、脚一組も入っています。これらの日本の珍しいものが貴殿のお気に召すことを願っております。(1−2)1878年4月1日付ロンドンのマイヤー(Meyer)よりシック宛は、上記の物品の送付、保険についての確認書である。所あり、内部は空洞で竹ひご状の構造が認められた。また、肩から肘の上腕部は綿入り布製で、肘の部分で接合できる仕組み〔図2〕である。肘から指先は木製である。この上腕部が布で作られているのは、作業の簡略化や、可動性を高め、着物の着脱の簡便化などの理由による。なお、見世物興行のための生人形では、着衣で隠れるため針金や角材のみで簡易に作られることが多い。また左手の形状から傘を手にしていたと推測され、頭をやや傾けた姿勢も同じ理由によるものと思われる。腿下から足先は木製で、やや膝を曲げた形状で裸足に下駄を着用している。頭部では、玉眼がなされ、毛髪は布に一本一本通してシート状にして貼り付け、結髪されている。簪などの装飾品がやや乱れ、睫毛部分には接着剤の痕跡があり、足や手に亀裂・欠損・汚れなど、経年による傷みが認められた。人力車の状態は良好であり、背面に鯉を掴む男性の描写が残り、右下には「日本神戸生田前 藤半造清画」と記されている。今回、三通残る書簡のうち、1878年1月18日付、1878年4月1日付の二通を解読した(注2)。人形はパピエ・マシェで、部分的に破損した場合はコペンハーゲンで修復可能と思われます。他は木と鉄で作られており、輸送中に損傷をうけることはないと思われます。万一の場合、費用はロンドンの代理店マイヤーが対応いたします。(後略)H. M.フライシャー」書簡(1−1)によれば人力車夫、女性の扇子、傘、着物も同送されているが、博― 229 ―

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