(2−1)1878年春、松本喜三郎代理人からスミソニアン博物館宛の草稿(注6)では、ケプロンとの書面での契約書において、家族あるいは高貴な階級の男女の像各1体(裸体)、200ドルもしくは200円はすでに受領済みであると確認した上で、口頭注文の物品について問い合わせをしている。男女の着物一式を揃えるためには19種21点で250円の見込みで、ケプロン氏の希望により古い上質のものを選んだが、この値段で注文してよいか事前に同意を求めている。さらに輸送用の外箱、運送費、輸送保険について、松本喜三郎側は支払いの義務はないと考え、その費用を誰が負担するのかケプロン氏と相談をしてほしいとの内容である。(2−2)1878年4月6日付ワシントンD. C. のホーレス・ケプロンより東京の松本喜三郎宛ての書簡はその回答である。主な内容は「吉田氏を通じて私が依頼したスミソニアン博物館宛ての像に関する連絡を受けとりました。高貴な階級の男性、女性の二体の像にふさわしい衣服を購入するための費用は250円を超過しないようお願いします。彫像については、二体で250円、すでに200円を前払いしており、高貴な階級の二つの像が完全な着衣で、完成された場合に完済されます。(2−3)1878年7月30日付東京のアメリカ公使館秘書スティーブンスよりスミソニアン博物館宛(1878年9月4日スミソニアン受領印)の書簡では、人形と着物がようやく完成し、数日で本国へ発送できるとの報告である。蒸気船「China」で送る手配をしていたが、京都での着物購入などの変更により間に合わず、次の8月16日の便にすが収蔵されていたことが判明している。このケプロンは1871年8月から1875年5月にお雇い外国人として開拓使顧問を務め、その間に松本喜三郎に貴族男女の像の制作を依頼し、スミソニアン博物館へ寄贈する予定であった。二年がかりの作品の完成前後の文献資料を読み解いていきたい。もし、別の商人の像二体が完成していて、お送りいただければ、契約書のとおり、追加で200ドルお支払いいたします。アメリカ公使館の秘書であるスティーブンス氏が支払います。なお、完成がこれ以上遅れることになれば、前払いした200ドルに利子をつけて返金をお願いします。」(注7)というものである。ここでは衣装代250円支払いのほかに、商人の像二体も注文されていたことが判明した。ケプロンは鼠屋伝吉に労働者階級の夫婦像を依頼・入手していることからも、当初より多様な社会階級を紹介する意図のあったことが窺える。― 231 ―
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