(2−4)1878年7月31日付東京のスティーブンスよりスミソニアン宛の書簡は前日の追記である。「人形、着物の見せ方、着付け方法についての写真と説明を送ります。箱に番号が付けられています。私はこの種の判断には疎いのですが、このアーティストは「日本の高貴な生活」の表現において、賞賛に値するほどの成功をしています。私は女性の姿勢が好きではありませんが、松本喜三郎氏はそれが流行の装いであり、さらには着衣を外してみてほしいと言っています(注8)。きっとこの作品を気に入ることと思います。」(2−5)1878年8月2日付横浜のスティーブンスよりスミソニアン博物館宛の書簡は代金の受領報告である。「本日、スミソニアン博物館オフィスよりエドワード・フィッシャー商会を通して、ホーレス・ケプロンによって注文されたスミソニアン博物館のための二体の蝋人形の着物の代金、および東京から横浜、横浜からサンフランシスコ、および陸路の輸送費用として265ドル、さらに249ドル10セント受領いたしました。」(注9)(2−6)1878年8月5日付松本喜三郎代理人の石橋よりスティーブンス宛は、明治11年8月5日付、貴族二体の活像の衣服及び用具の代金である弐百五十円の受取証である。また同内容の英文書も残されている。(2−7)1878年8月16日付東京のスティーブンスよりスミソニアン博物館宛は発送報告である。「Oceanic号にて、ホーレス・ケプロン氏が貴館のために注文した二体の蝋人形をお送りしました。Hewly教授の希望によりアラスカ・コマーシャル・カンパニーに輸送を引き渡しました。発送準備が整い、保険が付保され、丁寧に梱包されました。アーティストにも協力を感謝します。(物品リストあり)」る予定であり、スミソニアン博物館に衣装と輸送代金を横浜のエドワード・フィッシャー商会経由で送金するよう手続きを求めている。 ここで引用されている松本喜三郎の言葉が興味深い。生人形興行では常に流行を意識した着付けを行っていたが、ここではその下に隠れる裸体表現への自信が窺える。対となる現存する貴族男子像の写実性、細部に至るまでの精巧な仕上げを目の当たりにすると、その言葉の真意がより一層伝わってくるのである。― 232 ―
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