(3−1)1892年10月2日付デトロイト・フリー・プレス(注11)では、スターンズが日本美術の最高傑作を寄贈し、美術館に作品が到着したことが伝えられている。「フレデリック・スターンズ氏が新たに素晴らしい作品を寄贈した。これは日本人が卓越した木彫の技術を備えていることを示すものである。《力士たち》と名付けられた群像で、9月3日に日本を出発、英国籍グレンガリー号にてスエズ運河を経由し、ニューヨークへ到着した。(中略)この像は桐で作られており、彩色され、英雄的なサイズで、安本亀八作である(注12)。このように、ケプロンが依頼した作品はスミソニアン博物館に送付され、民族学部門に登録された。1890年頃にアジアの哺乳動物と並んで、松本喜三郎の貴族男女の像が展示された写真が残されている(注10)。3.アメリカ合衆国デトロイト美術館安本亀八初代による《相撲生人形》〔図3〕は1890年に浅草で展示されていたところ、デトロイト出身の収集家フレデリック・スターンズ(Frederick Stearns 1831−1907)が購入、デトロイト美術館(現デトロイト美術研究所)へ寄贈し、1893年1月に一般公開されたものである。時を経て、2005年に熊本市が購入し、現在は熊本市現代美術館に収蔵されている。ここでは作品がどのように受け止められたのか当時の新聞記事を中心に追ってみたい。ここでは死にもの狂いの苦闘が表現されている。日本で最初の相撲であり、大和地方の濃い肌の当麻蹴速と、出雲地方の明るい肌の野見宿禰で、紀元前29年の垂仁天皇時代に行われたものである。この作品は博覧会あるいは1889−90年の東京の上野公園での第3回内国勧業博覧会のために制作されていたが完成が間に合わなかった。完成後は浅草寺の境内に展示され、大評判となった。この彫刻家は伝承の話を詩人のように大胆に書き換えたのである。(その後に続く相撲についての説明:中略)写真から判断すると、この作品はとても素晴らしく、解剖学的にも見事なほどに正確に作られ、人体についての完璧な知識を備えていることを示しており、偉大なる彫刻家の作品であろう。日本人は細部まで精巧で、どの部分においても写真のような再現性が追究されている。この力士たちの立ち振る舞いは活気にあふれ、動きには緊張感がみなぎっている。(後略)」寄贈者のスターンズはデトロイトで事業を成していたが、早期に引退し、1890年代― 233 ―
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