(3−2)1873年1月8日付デトロイト・フリー・プレス(注14)では、日本の彫刻の写実的研究、著名な日本人アーティスト安本亀八(注15)による《力士たち》との小見出しのもと、美術館で一般公開(注16)された記事が掲載された。「これは紀元前29年の垂仁天皇時代に遡る日本で最初に行われた有名な相撲の取組を表現している。この町出身のフレデリック・スターンズ氏が近年、日本を旅行中、東京の公園でこの彫刻の展示を初めて見た。彼は素晴らしい宝物としてこれを入手してデトロイト美術館へ寄贈品として送ったもので、数日前から公開された。(中略)筋肉の張り、肌の質感は写実そのものであり、格闘する蹴速の脚には泥もついている。まるで生きているかのように作り出すために、このアーティストは努力を惜しんでいない。」に日本を訪れていた。この間にデトロイト・フリー・プレスへ日本の文化、生活様式について寄稿をしており、「相撲」、「有名な寺」(浅草寺)、「看板」などが取り上げられている(注13)。このように浅草での見世物興行について見識があったと思われることや、相撲そのものへの関心が高かったことが《相撲生人形》の購入につながったと考えられる。このように高評価を得ており、美術館にとっての重要な収蔵作品となった。それはデトロイト美術館の1892−93年版の年次報告書(注17)においても「主な寄贈品は日本の木彫である。紀元前23年に行われた歴史的な相撲を表現している。(後略)」と詳しく言及されたことからも分かる。この安本亀八の作品の場合、見世物としての生人形の本来の場所で鑑賞され、購入の運びとなった。美術館の展示の際も、見世物としての生人形の臨場感を保ち、その芸術的表現に対して高い評価が与えられた点において、他の博物館で民族学的観点から展示され、標本的に眺められた環境とは大きく異なっていた。4.おわりに今回は見世物興行としての生人形の時代である1870年代から1900年にかけての文献資料からその流通や経緯を検証した。松本喜三郎、安本亀八初代は迫真の表現を追求するがゆえに制作時間を要し、見世物興行の演目作品以外の完成作が少なかったのではないかと推測される。結果として、海外へ渡り帰属が明確な作品はこの二例に限定されている。一方、デンマーク国立博物館蔵の女性像は生人形の迫真的な表現というよりは固定― 234 ―
元のページ ../index.html#244