鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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注⑴見世物興行の演目としては「生人形」(いきにんぎょう)の表記が広く用いられた。本稿においては松本喜三郎の独自のキャッチコピーとしての「活人形」の文脈を除き、「生人形」の名称を用いる。⑵残る一通の1878年9月26日付は調査中である。⑶Simon B. Heilesen, “Danes on Japanese Culture”, Danes in Japan 1868−1940, Copenhagen: Akademisk⑷ケプロンとのエピソードは以下を参照。大木透「二十四、米商人との人形の取引」、『名匠松本喜三郎』(復刻版)、熊本市現代美術館、2004年、107−108頁。⑸この2体もケプロンの注文で1875年の博物館収蔵の登録記録が残る。⑹書簡の複写には日付、宛名、署名がなく、罫線入りの用紙に書かれており草稿と思われる。次に挙げる(2−2)の書簡がこの書簡の回答と考えられるため、時期及び宛先がスミソニアン博物館であると考えられる。⑺前掲書⑷の大木透の記述では、男女二体で契約代金800円、内金300円であったとされている。⑻松本喜三郎の言葉として以下のように記されている。“...but Matsumoto says that it is a swell⑼生人形は木製であるが、蝋(wax)と記載されている事例は多い。⑽写真資料名Asian Exhibit in USNM (now A&I) c. late nineteenth-century, Smithsonian Archives -⒁“The Wrestlers”, Detroit Free Press, Jan. 8, 1893.⒂原文ではYasamito Kamehachiと誤記。⒃未見ではあるが、この展示に際して次のカタログが発行されている。Exhibition of "The GiantForlag, 1984, p. 79.position and let’s off the clothes.”History Div., Standard number: SIA2007−0132 SIA⑾“The Wrestlers”, Detroit Free Press, Oct.2, 1892.⑿原文ではYosamito Kamehachiと誤記。⒀スターンズによる日本に関する寄稿記事。“A Famous Temple”, Aug 3, 1890; “Wrestling in Japan”,April 5, 1891; “Curio Shops of Japan”, March 16, 1890ほか。すべてFrederik Sterns, in Detroit FreePress.Wrestlers" by Yasamite Kamehachi, The Detroit Museum of Art, January 9, 1893.化した表情であり、これはライデン国立民族学博物館に残る長崎に滞在したブロムホフ、フィッセル、シーボルトらの収集品から成る日本コレクション(収集時期1800−1860年頃)に含まれる人物頭部との類似性を認めることができる(注18)。これは書簡の発信地である長崎という土地との繋がりも示しているのではないかと思われる。この事例が生人形以前からの系譜になるものか、今後調査を重ねていきたいと思う。また1900年以降、博物館に購入、展示されるようになったマネキンとしての生人形についても、ブレーメンの博物館の資料を中心に、生人形師の技術や精神がどのように継承されていったか、それが海外の博物館でいかに日本を表現していたのか解明を進めていきたいと考えている。― 235 ―

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