鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
248/537

研 究 者:千葉商科大学 非常勤講師  坂 田 道 生1.はじめにポンペイやヘラクラネウムなどの古代の街並みが良く残された遺跡の中でも、特に興味深いのはdomus(家)に見られる神々への崇拝を示す痕跡であろう。下記のキケロの文章には、共和制末期のローマ人の意識に根強く残っていた祖先の祭儀に対する心情が描写されている。「一族と父祖以来の祭儀を守ることは、昔の人々は神々にもっとも近かったのであるから、いわば神々から受け継いだ礼拝を維持するということである(注1)。」このような私的領域における儀礼は、単にそこでの神々の崇拝を示すだけではなく、皇帝などが執り行った公的な儀式の起源と密接な関連があると指摘されており(注2)、ローマ人の宗教観を理解するために非常に重要なものである。このような宗教儀礼を考古学的に最も明確に示しているのがdomus(家)におけるlararium(祭壇)である(注3)。larariumは壁面に描かれた簡素なもの、壁龕あるいは礼拝所に設置された儀礼のための祭壇を指して言う(注4)。近年のローマ宗教史および美術史研究においては、儀礼に関する研究が大きな展開を見せており、とりわけ私的領域における家庭祭儀の解明が大きな問題となっていlarariumを用いてどのような儀礼が行われていたかを正確に把握するのは難しい、なぜなら個々のdomusの伝統によって儀礼が異なっており(注5)、larariumにおける儀礼に関する詳しい資料は管見の限り残されていないためである。ただ、家族を守るラレス、家の中の食器室または食器棚を守るペナテス、家族と特にその家長を守護するゲニウス、暖炉の女神であるウェスタなどがlarariumに壁画あるいは彫像として表現されており、そこでは様々な神々(注6)が崇拝されていたと考えられる。larariumに関するこれまでの研究では、ポンペイとその周辺地域で発見された保存状態の良いものが主に研究対象とされてきた。本論でもポンペイとその周辺地域に対象を限定し、フレエリッヒ(注7)、フォス(注8)とシェーファー(注9)の研究を主に参考としながらlarariumの図像の構成要素を概観し、設置場所からlarariumの役割を考察する。― 238 ― ポンペイとその周辺におけるlarariumの図像について

元のページ  ../index.html#248

このブックを見る