鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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研 究 者:サントリー美術館 学芸員  池 田 芙 美はじめに歌舞伎の草創期においては、近世初期風俗画や、浮世絵、草紙類などのジャンルにおいて、歌舞伎小屋や歌舞伎の舞台、役者一人を切り取った舞踊姿など、歌舞伎を題材とする多様な作品群が生み出された。これらの絵画作品をめぐっては、美術史の側からは、様式論や筆者論、注文主の探索など、様々な研究がなされてきた。一方、芸能史の側からは、史料の少ない草創期の歌舞伎の様子を伝える画証として活用されてきた。ただ、美術史および芸能史の研究成果は、これまで相互に参照されることはあっても、それぞれの遺産が必ずしも有効に生かされてきたとは言えない。しかし、初期の歌舞伎を描いた作品について考察を深めるためには、絵画史・芸能史双方の研究蓄積を踏まえた、複合的な視点こそが今求められているのである。そこで本稿では、草創期の歌舞伎を描いた絵画の中でも、とくに〈大小の舞図〉と呼ばれる一連の作品群を取り上げ、関連する芸能史料を見直し、美術史側の研究蓄積と結びつけることを試みたい。〈大小の舞図〉とは、若衆歌舞伎の舞台で演じられた〈大小の舞〉という演目を描いたもので、折烏帽子に太刀を帯び、手には扇を持ち、派手な小袖の右片袖を脱ぎ、背中に御幣を負うというのが典型的な姿である。今回はなかでも、〈大小の舞図〉の歴史的変遷を語る上で重要な意味を持つ千葉市美術館本〔図1〕と板橋区立美術館本〔図2〕に焦点を当てる。なお、〈大小の舞図〉は〈男舞図〉と呼ばれることもあるが、本稿では芸能史研究との関連を踏まえ、〈大小の舞図〉という名称を統一して用いることとする。1.〈大小の舞〉に関する先行研究作品の主題となっている〈大小の舞〉については、高野辰之氏による芸能史研究が大きな出発点となっている。高野氏は『日本演劇の研究』において、『業平躍歌』(塩釜神社蔵)という小冊子を紹介し、「業平をどり十六番」と記された16の歌謡を掲載している。そして、この冊子の巻尾に「業平躍とは大小狂言」とあることから、〈業平躍〉とは大小狂言の舞のことであると説いた。また、『業平躍歌』の十六番の歌謡が、『舞曲扇林』(貞享3年(1686)頃)所収の、若衆歌舞伎の舞台で用いられた「小舞十六番」と近いことを指摘した上で、同書の歌謡紹介に「右は大小に入しなり」と― 247 ― 草創期の歌舞伎表現を探る─絵画史研究と芸能史研究の複合的アプローチ─

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