2.〈大小の舞図〉─祖型としての〈阿国歌舞伎図〉千葉市美術館に所蔵される「大小の舞図」は、首から大きな数珠を懸け、腰に印籠や巾着などの提げ物をした姿で描かれている。数珠の留め具や装飾には金泥が使用され、印籠には銀、巾着には金泥線が加えられるなど、高価な絵具がふんだんに使われている〔図6〕。今は酸化して黒ずんではいるが、衿もかつては銀色であったと推測され、烏帽子や太刀、着物の文様にも金泥が多様されるなど、丁寧な表現となっている。数珠や提げ物は、典型的な〈大小の舞図〉には登場しない扮装だが、浅野秀剛氏が述べるように、「阿国歌舞伎図屏風」(出光美術館蔵)や「阿国歌舞伎草紙」(大和文華館蔵)〔図7〕などに見えるように、阿国歌舞伎・女歌舞伎の遺風と言えるもので、古様な姿を示していると推測される(注4)。浅野氏の取り上げた2図は、いずれも「茶屋遊び」と呼ばれる阿国歌舞伎の代表的な演目を描いたものである。「茶屋遊び」とは、「かぶき者」の扮装を真似て男装した阿国が、道化役の猿若を供に連れ、女装の狂言師が扮する「茶屋のかか」の許へ通うというストーリーである。本来は阿国歌舞伎の一演目に過ぎなかったが、あまりにも人気が出たため、阿国歌舞伎の代名詞的存在になり、多くの模倣者が出た。「茶屋遊び」を描いた他の作例を見てみると、浅野氏の挙げた2点以外にも、千葉市美本と同様に、印籠と巾着の提げ物をした「かぶき者」の姿が数多く見つかる。たとえば「遊女歌舞伎図」(出光美術館蔵)では、こちらに後ろ姿を見せる「かぶき者」の腰に、梨地蒔絵の印籠や金の瓢箪などの提げ物が認められる〔図8〕。また、「清水寺遊楽図屏風」(MOA美術館蔵)の画面左側では、歌舞伎小屋の舞台で「茶屋遊び」が演じられており、2人の「かぶき者」の腰には印籠と巾着、瓢箪の提げ物が見える〔図9〕。「歌舞伎図巻」(徳川美術館蔵)では、図巻の最後に「茶屋遊び」が描かれており、阿国追随者である采女の腰に金の印籠と巾着、金の瓢箪が提げられている〔図10〕。さらに「四条河原遊楽図屏風」(堂本家蔵)の舞台における「茶屋遊び」でも、「かぶき者」は梨地の印籠と巾着、瓢箪を身に付けている〔図11〕。つまり絵画表現においては、「茶屋遊び」を描く際に、数珠や印籠、巾着、瓢箪などの提げ物をした姿が「かぶき者」の特徴として理解されていたのである。では、「茶屋遊び」において、阿国が実際にこのような扮装をしていたことを証明する証拠はあるのだろうか。従来の作品研究ではほとんど等閑されてきた史料の一つに、初期の阿国歌舞伎の様子を伝える『かふきのさうし』(松竹大谷図書館蔵)の詞書があり、そこには次のような記述がある。すなわち「お国がその日のいでたちには…赤地の金襴の羽織に、萌黄の裏をうちたるを着て、紫の扱き帯をむんずとしめ、い■■■― 249 ―
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