鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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通憲入道、諸芸に堪能の人なれば、舞楽を和らげ、磯の禅司といふ女に舞を教え、白き水干立ゑぼし、太刀を佩舞しゆゑ、男舞といふ。禅司が娘を静といふ。是に伝へ後白拍子000といへり。夫を学びて猿若に、大小の舞といふ古風の芸00000000000あり」(注14)とする同書の表現は、〈大小の舞〉が白拍子に繋がる呪術性を持つことを示している。雨乞い歌を歌う若衆を描いた千葉市美本は、〈舞〉が持つ古来からの神聖なイメージを内包していると考えられるのである。3.〈大小の舞図〉─〈寛文美人図〉への変容このような〈大小の舞図〉の表現は、時代を経るにつれ、次第に変化していくこととなる。その様子をよく表しているのが、板橋区立美術館の所蔵する「大小の舞図」である。本図は、金の折烏帽子を戴き、金の扇を手にし、腰には長い太刀を帯び、御幣を背負った若衆の舞姿を描いており、典型的な〈大小の舞図〉の扮装を示している。小袖の文様には金泥が多様され、華やかな印象を与える。衿や足袋には独特の光沢があり、墨に銀を混ぜて彩色を施したと考えられる。注目すべきはその面貌で、最初に輪郭線を描いた後、胡粉を塗り、さらにその上から上瞼と唇のみを描き起こしている〔図15〕。また、眉は細かい線を重ねて描き出され、瞳は中央の黒点の描写まで神経が行き届いており、耳の前には細い線で後れ毛を描き加えるなど、極めて精緻な表現になっている。加えて、下に着る白地の着物に見られる花のような文様は、花弁らしきものは墨で、真中の点はやや青い色で描かれるなど、彩色においても細かな使い分けがされている。この板橋区美本と最も近いのが、ケルン市立美術館に所蔵される「大小の舞図」である〔図16〕。2図の姿態がほぼ同じであることは言うまでもないが、縁が赤く塗られ、金地に草と朝日が描かれた扇の文様や、小袖の衣文の形、赤地に草花らしき文様を描いた襦袢、および茶色地に縞模様の襦袢、太刀の先に付いた赤い紐の垂れ方など、細部にわたる一致が認められる。面貌から受ける印象はやや異なるが、かなり近い環境で制作されたことは間違いない。小林氏はこのケルン市美本について、女性的な優しさが強調された容貌で、細かい衣装の細密さなど、洗練の極点にまで達した〈大小の舞図〉であると位置付けている。また、「正歳」と読める印が捺されていること、正歳は浮世正歳と通称される風俗画家で、伝歴が不詳であることが説明されている(注15)。板橋区美本もまた、ケルン市美本と同様に、面貌からは女性的な優美さが強く感じられる。中剃りがなければ一見女性と見まごうほどの柔らかな顔立ちは、この時期の― 252 ―

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