鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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ンノ・ブファリーニである(注3)。ニッコロは、遅くとも1463年以降、書記官としてローマ教皇庁に仕えていた法学者であった。本礼拝堂は15世紀の初頭に説教によって人気を博したフランチェスコ会の聖人シエナの聖ベルナルディーノ(1380−1444)に捧げられ、その壁面には聖人の生涯に取材した数々の逸話が描かれた。本壁画に関して特に注目されてきたのは、壁面に描かれた建築要素がローマの礼拝堂装飾に新たなイリュージョニズムを提示した点である(注4)。各壁面には、最下段に腰板、両端に遠近法を用いた柱が描かれ、それらが壁面上部のアーチとヴォールトの交差リブを支えているかのように構想されている。この描かれた建築要素は実際の建築構造と合理的に結びつき、ローマにおいて礼拝堂空間をかつてないほど統一的に纏め上げた作例であった〔図1〕。以下、壁面に描かれた主題を確認する。リブによって四分割された礼拝堂のヴォールトには、各区画に福音書記者たちが配されている。礼拝堂奥壁の祭壇壁面には、壁面全体を用いた巨大な画面に礼拝画《聖ベルナルディーノの栄光》が描かれた。また左壁面はコーニスで上下二段に分割され、その上段にはフランチェスコ会入信前の聖人が隠遁生活を送ったという逸話が表されている。下段には、聖ベルナルディーノの葬儀の場面が展開する。対する右壁面には、中央に二連窓があり、その両側には窓が描かれている。描かれた窓の下の各区画には、ベルナルディーノがフランチェスコ会の法衣を授かる場面(左)とフランチェスコ会の始祖アッシジの聖フランチェスコが聖痕を受ける場面(右)が絵画化されている。また、二連窓の下の区画には、礼拝堂制作当時の人々がこちら側を覗き込む様子が描かれている。そこにはアラチェリ聖堂修道院長やフランチェスコ会士の肖像画の存在が指摘されているが(注5)、本礼拝堂に聖人伝を絵画化する際には、ここに登場するフランチェスコ会士たちの助言があったに違いない。また、礼拝堂の四隅に描かれた柱には、紺地に白色で古代モチーフが鎖のように繋がったカンデラブルムが表されている(注6)。ブファリーニ礼拝堂壁画の装飾を終えたピントリッキオが教皇インノケンティウス8世のためにヴァチカンのカジーノ・ベルヴェデーレの壁面装飾をしていた頃、ロレンツォ・イル・マニフィコの推薦を受けたフィレンツェの画家フィリッピーノ・リッピが、カラファ礼拝堂壁画制作のためにローマへ到着した(1488年)。注文主は、ナポリ出身のオリヴィエロ・カラファ枢機卿である(注7)。彼は1467年より教皇庁において枢機卿及びナポリ王代理としての役割を担っていた。またカラファは、1478年以降、ドメニコ会保護枢機卿としてその托鉢修道会に対して多大な影響力をもった(注8)。その背景には、教皇とナポリ王の対立により不安定であった教皇庁内での自― 259 ―

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