鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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は、聖人伝を描いたフレスコ画連作(1477年)がある(注17)。その中には、異端の嫌疑をかけられたベルナルディーノが1427年に教皇マルティヌス5世によってローマに召喚された際の場面が絵画化されている〔図4〕。画面中央の柱の右側には、エンブレムの使用について釈明するベルナルディーノ、その背後には彼を支持するフランチェスコ会士たちが現れる。対する画面左奥には、多くのドメニコ会士たちの存在が確認される。本壁画は、ベルナルディーノの教義やモノグラム使用を巡る両托鉢修道会の対立の記憶を留めているといえよう。この審問の後、教皇はベルナルディーノの正統性を認めた。しかし、ドメニコ会士たちは彼を再び異端審問にかけるべく、1431年に修道士バルトロメオ・ダ・フィレンツェを中心に43項からなる意見書を制作した。次に示すように、その意見書には銘板の使用をはじめとした、激しいベルナルディーノ批判が認められる。死後わずか6年で、ベルナルディーノは列聖という形で公的にキリスト教会へ迎えられた。しかし、アラスが指摘しているように、彼が異端視されていたという記憶は、特にローマにおいて根強く残っていたのである(注19)。だからこそ、ブファリーニ礼拝堂では、様々な手法でベルナルディーノの正統性を強調する必要があった。特に、左壁面のルネッタに描かれた《ベルナルディーノの隠遁》という主題は、本礼拝堂においてのみ絵画化された珍しい逸話で、聖人伝のテキストを絵画化するのではなく、彼にかけられた嫌疑の中でも、特にユダヤ的思想への傾倒という嫌疑を払拭するために構想されたものである〔図5〕(注20)。生前、ベルナルディーノはその嫌疑をはねのけるかのように、ユダヤ人に洗礼を与え、キリスト教徒へ改宗させるという異教徒改宗運動を行っていた。ブファリーニ礼拝堂のルネッタでは、この記憶を再確認するため、ベルナルディーノに洗礼者聖ヨハネを髣髴とさせる毛皮を着せ、彼の足下には洗礼者としての役割を強調する泉が描き込まれている。さらに、前景左に描かれたユダヤ人とベルナルディーノとを対置し、ユダヤ思想と聖人の思想とを視覚的第1項 上述したフランチェスコ会修道士ベルナルディーノは、…教会や教皇庁の命によらず、自分自身の意図によって、新しい信仰、すなわち、光線を発する輪の中に、金色や他の色を用いた字でイエスの名が描かれた、大いに迷信に満ちたある種の銘板を考案し、それを民衆に崇めるよう提示したことを証明するために、またその必要があるために、証拠記録として提出することを宣言する(注18)。― 262 ―

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