鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
273/537

に分断しているのだ。さてここで、このルネッタにおいて後景中央左よりの木の根元に立つドメニコ会士の存在を見逃してはならない。彼は、このベルナルディーノの正統性を主張するルネッタにおいて目撃者として臨席している。また、ルネッタの下段に描かれた《葬儀》において、画面左のアーケードの下にもドメニコ会士が登場する。彼は異教徒風の男性たちと共に描かれ、あたかもこのドメニコ会士こそが非キリスト教徒と近しい人物であるかのような印象を与えているのだ〔図6〕。ここに揶揄するかのように描かれたドメニコ会士の存在を、ミネルヴァ聖堂のドメニコ会士たちが見過ごすはずはない。さらに我々は、ブファリーニ礼拝堂のルネッタの前でドメニコ会士たちが想起したに違いない内容をバルトロメオが著した意見書第26条の中に辿ることができるのである。ここでバルトロメオは、ベルナルディーノが行った説教の一節を引用し、その言い回しから、ベルナルディーノがイエスはキリストではないと考えているという点を非難している。ヴェスパシアーノ・ダ・ビスティッチが『著名人について』において紹介しているように、バルトロメオはその学と説教の才によって当時名を馳せたドメニコ会士であった(注22)。また、バルトロメオが意見書執筆の折に参照したとされる無名のドメニコ会士が編んだベルナルディーノ批判においても同様の理由で彼のユダヤ的思想が非難されていることから(注23)、バルトロメオの見解はドメニコ会の間に流布していたと考えられる。すなわち、ベルナルディーノがユダヤ的思想の持ち主であるとするドメニコ会側の批判の根拠は、ユダヤの民のようにイエスの神性を認めない立場、ひいては「三位一体」の教義に反する思想によるのである。また、ベルナルディーノの思想が「三位一体」の教義に背くと看做すドメニコ会側の姿勢は、次に示すように、バルトロメオが編んだ意見書の第13条から第15条にも明第26条 また、この修道士ベルナルディーノは、やはりシエナの町で、「福音書のどの箇所においても〈イエス〉と書かれている。もし〈キリスト〉と書き加えるものがいたならば、大罪を犯すことになるだろう。」と言った。この言葉は、神ではなく悪魔から送られたものである。実際に、彼は我々のイエスが聖書の定めるイエスではないかのように、キリストをイエスから分けようとしている。すなわち、ナザレのイエスは人間でよき預言者ではあるが、聖書の約束するキリストではないというユダヤ人の過ちに与しているのである(注21)。― 263 ―

元のページ  ../index.html#273

このブックを見る