注⑴T. McGrath, “Dominicans, Franciscans and the Art of Political Rivalry: Two Drawings and a Fresco byGiovanni Battista della Rovere,” in Renaissance Studies, vol. 25 no.2 (2010), pp. 185−207.Observant Franciscan Commentary of the Late Fifteenth Century, Ph.D. Diss., Case Western ReserveUniversity, pp. 97−100; Pintoricchio, P. Scarpellini, M. R. Silvestrelli (a cura di), Milano 2004, pp. 64−31)。事実、カラファ礼拝堂は私的礼拝堂とはいえ、受胎告知の聖母の祝日や聖トマス・アクィナスの祝日には、ミネルヴァ聖堂の主祭壇でミサが行われた後、カラファ礼拝堂を皆で行列するなど、公的な性格を濃厚に持ち合わせていた(注32)。また、両壁画の視覚的な類縁性は芸術上の競合関係を生じせしめるだけでなく、各礼拝堂で称揚されるフランチェスコ会の聖人シエナの聖ベルナルディーノとドメニコ会の聖人トマス・アクィナスをも対比構造の中に置いた。カラファ礼拝堂壁画で展開する聖トマス称揚、特に《トマスの勝利》の主題は、トマスの聖性と教義の正統性を聖ベルナルディーノとの対比の下に強調し、ドメニコ会士たちの信仰心や修道会への帰属意識を大いに高揚させたであろう。一方、カラファ礼拝堂壁画装飾事業それ自体は、ドメニコ会保護枢機卿カラファと修道会との関係性の深さを象徴し、さらにその絆を固く結びつけるものであった。そして、ミネルヴァ聖堂主祭壇での式典へ参列する権力者たちに対して、カラファ枢機卿は、ドメニコ会という後ろ盾とそれに裏付けられた自身の勢力を誇示することができたのである。1480年代に制作されたブファリーニ礼拝堂壁画とカラファ礼拝堂壁画に関しては、従来、描かれた建築部分の構造やそこに施された装飾や物語場面の構築における影響関係が指摘されてきた。しかし、両壁画の視覚的な類縁性は、フィリッピーノの芸術的な関心のみに還元されるものではない。その背後には、フランチェスコ会が所有するブファリーニ礼拝堂壁画と同様のものを欲するドメニコ会士たちの競合意識や、シエナのベルナルディーノ列聖後30年を経てもなお両修道会の中で決着していなかったその正統性に対する見解の相違が存在していたのである。すなわち、ブファリーニ礼拝堂壁画とカラファ礼拝堂壁画は、15世紀末の二大会托鉢修道会の競合意識を内在した対作品であったと位置づけられるのである。⑵ピントリッキオに関する先行研究は、Pintoricchio, V. Garibaldi, F. F. Mancini (a cura di), Milano2008に、またフィリッピーノに関する先行研究は、P. Zambrano, J. K. Nelson, Filippino Lippi,Miano 2004; Filippino Lippi e Sandro Botticelli, A. Cecchi (a cura di), Milano 2011に纏められている。両壁画の関係性に関しては、本文260頁及び注10〜13。⑶ニッコロに関しては、Dizionario biografico degli Italiani, vol. 14 (1972), p. 802; H. M. Rarick,Pintoricchio’s Saint Bernardin of Siena Frescoes in the Bufalini Chapel, S. Maria in Aracoeli, Rome: An― 266 ―
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