鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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E.Longpré, “Saint Bernardin...,” cit., p. 182.V.da Bisticci, Vite di uomini illustri del secolo XV, P. d’Ancona e E. Aeschlimann (a cura di), Milano1951, p. 155.E.Longpré, “Saint Bernardin...,” cit., XXIX (1936), p. 165; Idem, cit., XXX (1937), p. 174.E.Longpré, “Saint Bernardin...,” cit., XXX (1937), p. 180.ピサの板絵の研究史及びアヴェロエスの存在意義に関しては、松原知生「列聖の条件、聖者の身体─ピサ、サンタ・カテリーナ聖堂《聖トマス・アクィナスの勝利》を巡って」『京都大学文学部美学美術史学研究室紀要』第18号(1997)、187−230頁を主に参照。P.Zambrano, J. K. Nelson, Filippino Lippi, cit., p. 543。ヴァザーリはトマスの足下に横たわる人物をアヴェロエスであると考えたようだが(G. Vasari, Le vite de’ più eccellenti pittori scultori edarchitettori scritte da Giorgio Vasari pittore aretino con nuove annotazioni e commenti di Gaetano Milanes, III, cit., Bologna 1973, p. 468)、通常ターバンを身につけて描かれるアヴェロエスとカラファ礼拝堂に描かれたトマスの足下の人物像とは全く異なる。一方で、ヴァザーリの言及は、当時「トマスの勝利」の主題にはアヴェロエスが描き込まれるのが一般化していたことを示していよう。G.L. Geiger, Filippino Lippi’s..., cit., pp. 94−97; P. Zambrano e J. K. Nelson, Filippino Lippi, cit., p. 544.G.Palmerio e G. Villeti, Storia edilizia..., cit., pp. 143−144.キャノンは14世紀のシエナ派の多翼祭壇画について論じた際、両修道会が注文した板絵群が視覚的な類縁性を有する点を指摘している(J. Cannon, “The Creation, Meaning and Audience of theEarly Sienese Polyptych: Evidence from the Friars”, in Italian Altarpieces 1250−1550, Function andDesign, E. Borsook, F. S. Gioffredi (ed.), Oxford 1994, pp. 41−80)。ここで働いているのは、敵対する修道会が所有する作品と同様のものを欲する意識であろう。諸都市に比べて、聖ベルナルディーノを絵画化した作例が極端に少ないという事実も聖人が異端視されていた記憶が残存していたことに起因していると思われる。⒇拙論「ベルナルド・ピントリッキオ作ブファリーニ礼拝堂装飾壁画研究─ローマ、サンタ・マリア・イン・アラチェリ聖堂におけるシエナの聖ベルナルディーノの称揚について」『デアルテ』27号(2011)、60−65頁。各異端者は衣服に銘記された名前によって同定されている。左端から二番目の左を向く人物がアポリナウス、その右隣の赤いターバンを巻いた人物がポティヌスである。また、画面右の群集のうち、サベリウスの背後に立つターバンを巻いた人物がエウティケス、右端から三番目の唇に人差し指を当てている人物がマニキウスである(G. L. Geiger, Filippino Lippi’s CarafaChapel. Renaissance Art in Rome, Kirsville 1986, pp. 94−97)。フィレンツェ、サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂スペイン人礼拝堂の《トマスの勝利》において、トマスの足下に描かれた異端者たちは伝統的にアヴェロエス、アリウス、サベリウスと同定される。それはヴァザーリの記述に基づいているが、文書的な裏付けはない(S. Romano, “Due affreschi del cappellone deglispagnoli: problemi iconologici,” in Storia dell’Arte, 26/28 (1976), p. 190)。「アレイオスの過ち もし子なるイエスが生まれたのならば、子なるイエスのいない時代があったということになる。」「サベリウスの過ち 父なる神は子なるイエスと同じ存在であり、精霊もまた同様である。」(G. L. Geiger, Filippino Lippi’s..., cit., p. 95.)「(1493年の受胎告知の祝日に、主祭壇での)この儀式が終わると、教皇様は祭壇前の椅子で祈りを捧げ、…カラファ枢機卿によって建てられた受胎告知の新しい礼拝堂へ行列した。」(G.― 268 ―

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