単独の馬の図像が転写されている〔図3〕(注6)。また、東京藝術大学大学美術館には、明治22年に買い入れたという、おそらく明治初期のものと思われる3巻の画巻が所蔵される(注7)。そして、ここで新たに永青文庫所蔵の《調馬図屏風》(熊本県立美術館寄託)〔図4〕 を紹介したい。金地の屏風に騎馬図巻の図像が一扇ずつ押し絵貼りになった6曲1双の作品である。詳しい伝来は不明で、これまでに展覧会図録等で紹介されたことはなく、平成23年5月の熊本県立美術館における「知られざる名品展」での展示が初公開となった。このうち、右隻第1扇、第3扇、左隻第1扇、第2扇、第4扇、第6扇は他の作例には見られない図像である。このうち第6扇は、馬ではなく牛である。それなりに古色がつき、主題自体が中世からある図様を写し継がれたものであるので、製作年代の判定は難しいが、桃山時代以前に遡るものとは言い難く、江戸時代前期の、王朝文化への憧憬によって大和絵がもてはやされた寛永期あたりを想定しておきたい。永青文庫本から想起させるのが、先述の《探幽縮図》に「屏風おしゑ」として写された騎馬図巻の屏風である。もちろん個々の図様は異なるため、永青文庫本が探幽縮図に描かれた屏風とは別物であるが、江戸時代前期にこのような屏風がいくつも制作され、需要があったことが推測できる。また、直接的には騎馬図巻と図像が異なるものの、「騎馬図巻」との関連性が考えられるものとして、原口志津子氏が紹介した、富山県個人蔵本《随身乗馬図》が挙げられよう(注8)。この作品は、馬と人物の形自体は「騎馬図巻」と異なるものの、原口氏は「最も近い性格をもつもの」として「騎馬図巻」を挙げている。この作品は補筆や補彩が多く、背景や人物の表情も当初のものではなく、添付された文書が書かれた17世紀後半以降に改変したものだと考えられている。しかし、補彩ながら、目がつりあがって「卑俗」といえる人物の特徴的な表情は、「騎馬図巻」の一部にもみられるもので、補筆の際に「騎馬図巻」が意識された可能性も考えられる。2、各図像の分析次に、「騎馬図巻」における〔表〕に示した記号の各図像を見ていきたい。なお馬術的な考察については、中尾善保氏と柴田真美氏による論考を参考にしている(注9)。A 直垂姿の人物が疾走する馬に鞭を使いつつ乗る場面で、鞭で馬を早く走らせつつ― 274 ―
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