鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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1 願成就院諸像の宗教的性格の検討⑴説法印の阿弥陀如来坐像願成就院阿弥陀如来坐像〔図1〕は、両手を胸前に構えるいわゆる阿弥陀の説法印を結ぶ。本像が結ぶ説法印は、従来、運慶が古典研究の成果によって取り入れた形式と考えられてきた。しかし、仏像の印相はその像の宗教的性格と関わるものとして選択されると考えられる。また、説法印の阿弥陀如来像は12世紀以降には再び造立されるようになっており、願成就院像以外にも作例が多数存在している(注4)。そこで、説法印の意味について検討し、像の性格を考察したい。そもそも阿弥陀の説法印は、『陀羅尼集経』(以下『集経』と略す)巻第二「阿弥陀仏大思惟経説序分」(『大正蔵経』18、800頁c)に説かれる印相が典拠とされている(注5)。それによれば説法印は、左右手とも第一・四指を捻じ、右の第一・四指の頭で左のそれを押し、他指を開き立てるという印であり、極楽浄土の阿弥陀如来が結んでいる印であるという。また同「阿弥陀仏輪印第十三」には、左右手。以二大指各捻無名指頭。右圧左当心。若欲説法論義之時。日日作此法。一切歓喜。死生阿弥陀仏国。(中略)若日日作種種供養阿弥陀仏。誦呪満十万遍。作印法者。即得滅罪。命終生彼国。(中略)此等諸印皆誦心呪。(『大正蔵経』18、802頁b−c)とある。ここでは、阿弥陀仏に対する修法の一つとして「阿弥陀仏輪印」による修法が述べられている。ここに説かれる阿弥陀仏輪印(転法輪印)は、先述の阿弥陀説法印と同じ印である。説法・論義をしようとする時にこの作法をすれば、死んで阿弥陀仏国に生じるという。また、日々阿弥陀仏を供養し、呪を誦すことが十万回になり、阿弥陀仏輪印法をなせば、滅罪を得て阿弥陀仏国に生まれるという。さらに、これらの印には心呪を称えるという。すなわち、阿弥陀仏輪印による行とは、行者が極楽浄土の阿弥陀如来と同じ印を結んで日々阿弥陀仏を供養し、心呪を十万回称えることで、自身の滅罪と極楽往生を祈る行といえる。極楽の阿弥陀如来を表した説法印阿弥陀如来像は、このような行の対象とする像として相応しい(注6)。次に、中世における阿弥陀説法印に対する理解について検討する。平安末から鎌倉時代に成立した『図像抄』巻第二、阿弥陀の項には、小呪 (筆者注:梵字9文字の陀羅尼)― 284 ―

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