⑵不動三尊立像と毘沙門天立像不動・毘沙門の脇侍構成は、聖観音の両脇にこの二尊を祀った比叡山横川の根本中堂において成立し、のちにどのような尊像の脇侍ともなりうる「一組の守護神としての」「天台の脇侍」と考えられるようになったとされるが(注7)、その典拠は経典や儀軌には求められず、この脇侍構成が果たす役割も明らかにされてこなかった。そこで、脇侍の不動・毘沙門に求められた役割を改めて考えてみたい。不動明王については、不動法の儀軌である『底哩三昧耶不動尊聖者念誦秘密法』に無動明王此是如来法身。以大願故。無相之中而現是相。護一切真言行者。若能常念能離一切障也。(『大正蔵経』21、13頁b)とある。不動明王は如来の法身であり、大願のために無相の中にその相を現して一切の真言行者を護り、常に念じていれば一切の障りを離れるという。また毘沙門天について、毘沙門天の儀軌である『摩訶吠室囉末那野提婆喝囉闍陀羅尼儀軌』には、心中心呪曰(中略)若有人常誦此呪時天王不離呪師守護之。(『大正蔵経』21、222頁b)とある。毘沙門天の呪を常に誦していれば、毘沙門天は呪師のもとを離れず守護するという。このように、そもそも行者を護る性格を有していた不動明王と毘沙門天は、やがて極楽往生の守護者、浄土への導き手としても信仰されるようになった。例えば、覚鑁(1095〜1143)が記した『不動講秘式』には所祈最後正念、所仰明王威力。臨終退魔縁。最後垂引接。然則為所願成弁。(中略)或致千度触犯、或帯四儀軽慢。此等破戒尚不捨。何況持戒帰依者哉。(『興教大師全集』巻下、1232−33頁)とある。最後の正念を祈って不動明王の威力を仰ぎ、臨終に魔縁を退け、最後に引接を垂れることを願っている。そして不動明王は、千度も触犯(してはいけないとされ― 286 ―
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