鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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陀小呪を唱えて供養することで自身の滅罪と極楽往生を祈るための像であり、脇侍の不動明王・毘沙門天像は、阿弥陀如来を供養する時政を守護し、往生に際しては極楽へと導く存在としての性格を有していたと考える(注9)。2 浄楽寺諸像の宗教的性格の検討浄楽寺諸像は、尊像構成は願成就院諸像と同じであるが、阿弥陀如来坐像が来迎印を結ぶ点が大きな相違点である。ここでは阿弥陀如来坐像の性格を中心に検討したい。同像の胎内墨書に着目すると、背部に大日如来の三身真言と阿弥陀小呪が墨書されている。仏像の胎内墨書や納入品の意義について、奥健夫氏は、京都・清凉寺と寂光院の地蔵菩■像の納入品に関する検討を通し、納入者の願意が、像内空間を通してこの世界と異なる時空に存在する仏に伝達されるという認識があったことを指摘した(注10)。また佐々木守俊氏は、長野・覚音寺千手観音菩■立像に納められた銘文と印仏について、千手観音の仏性に対して造像期間中の修法の実績を報告し、効験を促す意図があったと指摘している(注11)。このように、仏像の胎内に籠められる言葉が仏に向けられるものであったとすれば、浄楽寺阿弥陀如来坐像の胎内に記された真言も、像を介して、礼拝者が仏を供養するために唱える言葉であったと考えられる。このことから、浄楽寺像は大日真言や阿弥陀小呪を称える対象であったと理解できる。次に、来迎印について検討する。来迎印に関する史料として従来知られているのが、『白宝口抄』巻第四「阿弥陀法第二」である。そこでは観自在王如来(阿弥陀如来)の像容に対する説明の中で、来迎印について次のように記されている。来迎印相定印左右引散也。風空相捻二智智融。表蓮花三昧。散彼三指散心三智也。施平等性智慈悲。任妙観察智本誓。廻成所作智方便。来迎儀必可遂表示也。挙右向外以大悲智引摂十方衆生之義也。左逆垂下。蓮華三昧本誓垂逆罪者意也。或件印相左右共相並皆向外方。其意見前。是説法印也。(中略)仍来迎印説法印無所不至印。皆定印功能也。(『大正図像』6、360頁a)来迎印は定印を左右に引き散じたものであり、平等性智(平等の様を知る智)の慈悲を施し、妙観察智(あらゆるものを正しく追及する智)の誓願に任せ、来迎を必ず遂げる表示であるという。また、右を挙げて外に向けるのは大悲の智を以て十方の衆生を引摂する意味であり、左を逆に垂下するのは蓮華三昧の本誓を逆罪の者に垂れる意― 288 ―

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