鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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味であるとする。すなわち、来迎印は阿弥陀がその誓願の通りに来迎して衆生を引摂し、十方の衆生、逆罪を犯した者をも救うことを表すと解釈している。ところで、『白宝口抄』のこの記事は『秘鈔』巻第一「阿弥陀法」の道場観(『大正蔵経』78、485頁c)に対応する注釈である。『秘鈔』の道場観では定印の阿弥陀如来の観想を説くが、『白宝口抄』では、道場観に始まる阿弥陀法を行うことによって、極楽浄土の阿弥陀如来が定印を解き、逆罪の者をも含む衆生を救済することを表していると考えられる。また『秘鈔』では、阿弥陀法で用いる印に関する裏書の中で、本尊加持次第の一番に「先大日」とし、次第の後半で「決定往生印」と阿弥陀小呪を挙げている(『大正蔵経』78、486頁b−c)。阿弥陀法において、大日如来の加持と阿弥陀小呪の誦呪がともに行われる場合があったことが分かるが、これは浄楽寺阿弥陀如来坐像の胎内墨書とも符合している。以上のことから、浄楽寺阿弥陀如来坐像は、大日如来と阿弥陀如来双方の呪が用いられる阿弥陀法の本尊であり、浄楽寺像が結ぶ来迎印は、阿弥陀が小呪を唱える礼拝者の行いに応えて衆生を引摂し、逆罪者をも救済する様を表していると考えられる。3 武士の祈りと願成就院諸像、浄楽寺諸像願成就院諸像と浄楽寺諸像は、それぞれ小呪を誦す行いのための阿弥陀如来坐像と、礼拝者を守護し導く不動明王立像・毘沙門天立像という組み合わせから成り立っていると考えられる。次にこれらの諸像の宗教的性格と、それぞれの願主である武士の宗教観との関わりについて考察してみたい。殺生を生業とする武士は、悪業の者としての宗教的自覚を持ち、強い罪業感を抱いていたことが指摘されている(注12)。『観無量寿経』によれば、破戒を行った者の往生は九品往生のうちの下品往生に当たるが、中でも同経は下品上生と下品下生について、生前諸々の悪業をなした者でも、「南無阿弥陀仏」と阿弥陀仏の名号を称えることによって滅罪し、極楽往生できると説く。特に『観無量寿経』の下品下生では、『無量寿経』では救済対象から除かれていた五逆者も救済の対象とされている点が重要である。阿弥陀の名号を称えることは、密教では阿弥陀小呪の念誦に相当する(注13)。先に願成就院、浄楽寺の両阿弥陀如来坐像は小呪を称えるための像であったと指摘したが、それは武士である北条時政、和田義盛の下品往生者としての宗教的自覚に基づく選択であったと考えられる。さらに『観無量寿経』によれば、下品往生者の往生には阿弥陀三尊は来迎せず、化仏(下品上生・下品中生)や金蓮華(下品下生)が往生者の元に現れるのみだとい― 289 ―

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