鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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図版出典図1、2 『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇 第一巻〈図版〉』、中央公論美術出⑷藤岡穣氏が、日本における説法印阿弥陀如来像の展開を整理し、その教義上の典拠について検討を行っている。藤岡穣「説法印阿弥陀如来像をめぐる試論」『待兼山論叢』35、大阪大学大学院文学研究科、2001年、1−25頁⑸水野敬三郎「法隆寺伝法堂の阿弥陀三尊像三具」『奈良六大寺大観』三〈法隆寺三〉岩波書店、⑹中野聰氏は、奈良時代に造られた説法印阿弥陀如来像が阿弥陀仏輪印法を修する目的で造立されたことを指摘している。中野聰「奈良時代説法印阿弥陀如来造像の研究」『鹿島美術研究』年報21号別冊、鹿島美術財団、2004年、129−139頁⑺宮本忠雄「不動・毘沙門を脇侍とする尊像構成」、『天台美術の形成と系譜に関する総合的研究─京滋における天台寺院の調査─』研究報告書、1978年、11−27頁⑻このような不動明王と毘沙門天の性格について、奥健夫氏が指摘している。奥健夫「総持寺蔵木造不動明王立像」『國華』1393、2011年、43−45頁⑼以上の内容については、前稿でも論じている。髙橋沙矢佳「静岡・願成就院の諸像について─鎌倉時代初期の武士の信仰と造像─」、『論集・東洋日本美術史と現場─見つめる・守る・伝える』、竹林舎、2012年。⑽奥健夫「清凉寺・寂光院の地蔵菩■像と「五境の良薬」─像内納入品論のために─」『佛教藝術』234、毎日新聞社、1997年、87−116頁⑾佐々木守俊「覚音寺千手観音菩■立像と納入印仏」『実践女子大学 美学美術史学』22、実践美学美術史学会、2008年、97−119頁⑿武士の宗教観について論じた論考に、次のものがある。梶原正昭「武士の罪業感と発心」、今成元昭編『仏教文学の構想』、新典社、1996年、306−321頁五味文彦『殺生と信仰─武士を探る』、角川書店、1997年⒀高田修「鳳凰堂本尊胎内納置の梵字阿弥陀大小呪考」『美術研究』183、1955年、104−122頁版、2003年1969年図3 山本勉『運慶にであう』、小学館、2008年図4 鎌倉国宝館編『特別展 大本山光明寺と浄土教美術─法然上人八百年大御忌記念─』、2009図5、6 『別冊太陽 日本のこころ176 運慶 時空を超えるかたち』、平凡社、2010年年― 291 ―

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