「スペイン・ギャラリー」におけるスルバラン研 究 者:明治学院大学大学院 文学研究科 博士後期課程 単位取得退学七月王政期、ルイ・フィリップ国王によって、ルーヴル美術館で1838年から1848年までおよそ10年間一般公開された「スペイン・ギャラリー」は、19世紀フランスにおけるスペイン美術の受容において最も注目すべき出来事のひとつと言えるであろう。ルーヴルの「スペイン・ギャラリー」で展示するために、479点のスペイン絵画が集められたが、それはプラドに次ぐ規模であった。スルバランの作品は19世紀に至るまで本来の場所である修道院や教会に収蔵され続けていたが、2つの歴史的な暴力的行為といえる出来事によって、ようやく世間に知1848年の二月革命によって、国王が退位に追い込まれたとき同時に国王の意向によって創られたこの「スペイン・ギャラリー」も閉館した。「スペイン・ギャラリー」の膨大な作品群は、国王の私有財産で購入されたものであったため、イギリスに亡命した国王に返還された。国王の死後、1853年ロンドンで競売に付され散逸した。「スペイン・ギャラリー」の絵画収集について、その任を負ったのがイシドール・テロール男爵(1789−1879)である。彼はその人生の中で、文学、芸術、外交等、この19世紀において様々な分野で業績を成した人物である。スペイン・ギャラリーの作品群は、ルイ・フィリップの芸術的嗜好というよりむしろ作品選定にあたり国王にすべてを一任されたテロールの判断で収集されたものである。その選定に関し、479点という大量の作品群は、網羅的であり、まさに15世紀から19世紀までのスペイン絵画の歴史をひもとくような教育的役割を果たすものであったと言えるであろう(注1)。注目すべきは、テロールが当時まだフランスでは無名であったフランシスコ・デ・スルバラン(1598−1664)の作品を80点も購入したことである。1630年代から1640年代を通じて、スルバランは最も有名なスペイン画家の一人であったが、彼の名声は1664年に彼が死去した頃にはすでに大きく凋落し、1700年頃までには忘れ去られた画家の一人となりつつあった。スルバランが忘れられた理由は、彼の最高傑作と言われている作品の多くが、その注文主であった修道院や教会に収蔵されていて一般の目に触れることがなかったからである。― 294 ― 石 井 美佐子 ルイ・フィリップのスペイン・ギャラリー─ グルノーブル美術館所蔵のスルバランの《受胎告知》、《羊飼いの礼拝》、《東方三博士の礼拝》、《割礼》に関する調査─
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