鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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画の名品─フランスの教会と美術館から─」という展覧会が開催された。フランスの地方の教会や美術館に所蔵してあるスペイン絵画を一堂に集め、その存在を知らしめる絶好の機会になった。グルノーブル美術館のスルバランの4点の絵画も出品された。19世紀のフランスにおけるスペイン絵画の流行に代表される「スルト・コレクション」とルイ・フィリップの「スペイン・ギャラリー」は散逸した。しかし、その後もスペイン絵画趣味はフランスの愛好家において広まっていたことが、それらを一堂に会したとき、フランスの美術館と教会がスペイン派の油彩画をいかに豊富に持っていたかということで説明がつくだろう。現在ではスルバランの工房作と思われるストラスブール美術館所蔵の《聖ウルスラ》〔図12〕と《聖エングラティア》〔図13〕は、19世紀の「スペイン・ギャラリー」のときには、スルバランの作品としてカタログに記載されていた。このような展覧会は、誤ったアトリビューションを修正し、それを世間に知らしめる絶好の機会にもなる(注11)。まとめ帝政期、スルバランのへレスの祭壇画は分割され、《東方三博士の礼拝》、《割礼》は、ナポレオン美術館のコレクションとしてフランスに送られてきた。一方、《受胎告知》、《羊飼いの礼拝》のほうは、新国王ジョゼフの目論見で後のプラド美術館のコレクションとしてマドリードに残った。パリとマドリード、それぞれ分散しながらもナポレオンの退位後、4点の絵画はへレスのカルトジオ会の修道院に戻り、他の欠けていた作品も戻ってきて、祭壇画の復元に成功した。しかし、すぐにまた政治に利用されることになる。七月王政期、スペインの内戦による政治的混乱期に、自由主義者を味方につけたスペイン政府によってフランスに売却され、スルバランのへレスの祭壇画のシリーズ6点が「スペイン・ギャラリー」の所蔵となる。「スペイン・ギャラリー」の閉館後、1853年、ロンドンで競売に付されたとはいえ、スルバランの「キリストの降誕」にまつわる4点の絵画は、イギリス、スペイン、フランスと彷徨しながらも(ときにはアメリカに渡ったこともあったが)、1901年、最終的にグルノーブル美術館の所蔵となるまで、結局ルイ・フィリップの子孫のものであったことは何とも言えない歴史の皮肉である。ルイ・フィリップの末子モンパンシエ公がスペイン王女との結婚で「スペイン王子」の称号を得、二月革命後、セビリアに移住。スルバランの4点の絵画を購入した彼が、他にも傑作を収集し、スペイン・コレクションを彼の宮殿につくった。それは父ルイ・フィリップへの思い出や第2の― 301 ―

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