⑵スルバランについては以下を参照。Jeannine Baticle, Zurbarán : [exposition] Galeries nationales duGrand Palais, 14 janvier − 11 avril 1988; María Luisa Caturla, Francisco de Zurbarán ; traduction,adaptation et appareil critique par Odile Delenda, Wildenstein Institute, Paris, 1994; Arsenio Moreno,Zurbarán, Gallimard, Paris, 1999; Jonathan Brown, Francisco de Zurbarán, H. N. Abrams, New York,1991.⑶スルバランのへレスの祭壇画については以下を参照。Véronique Gerard Powell, Autour deZurbarán : Catalogue raisonne des peintres de l'ecole espagnole XVe−XIXe siecle du musee de Grenoble.Editions de la Reunion des Musees Nationaux, 2000.Jeannine Baticle, Zurbarán vu par Dauzats en 1836, Gazatte des Beaux-arts, v. 132, no. 1557, oct, 1998.⑷1791年までサン・フェルナンド王立アカデミーの書記官を務めることになるアントニオ・ポンス(1725−1792)は、1770年代に、スペイン芸術の至宝を記録するための『ビアヘ・デ・エスパーニャ(スペインの旅)』と題する記念的観光事業に携わった。ポンスの仕事は、ホベリャーノスの批評やセアン・ベルムデスの『スペイン美術の巨匠たちの歴史事典』(1800年発行)の事業と同様に、啓蒙思想家たちがスペインの芸術的遺産を明確にし、詳細に記録することに関心を持っていたことを立証する。⑸アレクサンドル・ド・ラボルド(1773−1842)はフランス革命期に父がギロチンで処刑されたため、一時ウィーンに亡命。革命後フランスに戻り、1801−1802年、ナポレオンの弟リュシアン・ボナパルトに随行してスペインを訪問した。1807年、ラボルド伯爵はグラナダで彼の姉ナタリード・ノアイユやシャトーブリアンと会った。旅行記(Voyage pittoresque et historique enEspagne, Paris, 1807−1818, 4 vol)の中で彼は、「ヘレスのスルバランの美しさを目撃した」ことを書いている。彼はスルバランのヘレスの祭壇画について指摘した最初の人物である。⑺「スペイン・ギャラリー」の作品は、公開当時もその信憑性がしばしば問題とされていたが、スルバランの作品も同様に、購入した80点の中には、現在では工房作、またはスルバラン派と見なされている作品も含まれている。⑻ゴーティエのスルバラン評については以下を参照。Lipschutz, l, Théophie Gautier, le Muséeespagnol et Zurbarán, Théophile Gautier. L’art et l’Art et l’Artiste, [Actes du congrès], Montpellier,1982. ゴーティエの心を捉え、とりこにしたのも、修道士、中でもフランシスコ会の修道士であった。スルバランの《髑髏をかかえてひざまずく聖フランチェスコ》に対し、ゴーティエは修道士の描写を以下のように表現している。「とりわけ祈っている修道士の絵画があるが、これは強烈に心をとらえる芸術的効果がある。修道士はひざまずき、法悦で胸が締めつけられるように頭を後ろにそらしている。彼の目はフードに覆われていて、そして顔の半分が隠れている。しかし粗末な生地の厚みが神のまなざしを遠ざけることはない。彼の半開きの唇や、首の緊張は情熱と独特の信仰を示しているのだ。これほど禁欲的でこれほど徹底的にキリスト教的なものを私は他に知らない。」Th.Gautier, 《Musée espagnole, 1850》, Tableaux, p. 101.1853, University of Georgia, 2008.⑼1846年10月、マドリードでスペイン王女ルイサ・フェルナンダ(スペイン女王イサベル2世の妹)と結婚。この結婚により「スペイン王子アントニオ」(Infante Antonio de España)の称号も⑹Juan Plazaola, Le baron Taylor : portrait d'un homme d'avenir, Fondation Taylor, Paris, 1989. ドーザとの書簡や「旅行手帳」については、Bruno Foucart, Adrien Dauzats et les Voyages pittoresques etromantiques dans l'ancienne France du Baron Taylor, Fondation Taylor , Paris, 1990. にも記されている。― 303 ―
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