⑽1868年にスペイン名誉革命が起きると、モンパンシエ公爵一家はスペインから出国する。野心家で自由主義者のモンパンシエ公は、自らも亡命を余儀なくされた1868年のスペイン革命に関与していた。実は革命蜂起はモンパンシエ公の金で準備されており、モンパンシエ公は蜂起で義理の姉イサベル2世とその家族を追い払ったあと、自分がスペイン王位を掠め取る気だったのである。しかしモンパンシエ公の王位簒奪計画は失敗に終わり、スペイン暫定政府はモンパンシエ公爵一家を追放処分とした。1874年、スペイン・ブルボン家の王政復古が実現し、モンパンシエ公爵一家も追放を解かれ、セビーリャの本邸サン・テルモ宮殿に帰還することができた。⑾1963年の装飾芸術美術館における「スペイン絵画の名品─フランスの教会と美術館から─」の展覧会については、以下の展覧会カタログを参照。Trésors de la peinture espagnole, églises etmusées de France: Exposition organisée par la Réunion des musées nationaux avec le concours del'Union centrale des arts décoratifs Palais du Louvre, Musée des arts décoratifs, Paris, janvier-avril 1963.⑿グランド・シャルトルーズ修道院(Grande Chartreuse)は、フランス、イゼール県、サン=ピエール=ド=シャルトルーズにある、カルトジオ会の母修道院。シャルトルーズ山地を代表する4つの峰のうちのグラン・ソムの麓にあり、大シャルトルーズ修道院とも呼ばれる。⒀19世紀末から20世紀初めのグルノーブル美術館の歴史において誰もが認める人物であるベリエ将軍は、けた外れの豊富な寄贈によって、美術館の最も重要な芸術庇護者として知られている。その寄贈の中でもスルバランの絵画4点は美術館の代表作となっている。ベリエ将軍の偉業に敬意を表し、没後100年となる2010年7月に記念行事が催され、同年グルノーブル美術館で半年間臨時の展覧会が開催された。そのカタログGuy Tosatto, Danielle Bal, Jean-François Klein,Roland Mourer, Caroline Herbelin, Le Général de Beylié 1849−1910 : Collectionneur et mécène, Uneexposition présentée au Musée de Grenoble (3 juillet 2010 − 9 janvier 2011), 2010. を参照。得た。― 304 ―
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