鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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ソリーニ自身が高く評価し、「常設的な展示の性格を帯びている」ことから恒久的な施設となる事を強く希望したという(注11)。レプリカや模型等で構成される展示物自体は実際のところ、イタリア統一50周年を記念して開かれた1911年の考古学展覧会(注12)に由来するものも含まれ、その後、1929年にパスタ工場を改造して開館したローマ帝国博物館に納められていた。「古代ローマ性展」では、展示場の設えが簡素堅牢で、柱や旗、紋章などの反復により威圧感を醸し出すファシズム期の建築の特徴を示すものである一方、展示物には模型に加えて、内容を平易に伝えるために地図や表などの展示備品が多く用いられたことを当時の展示風景写真が伝えている。現在、博物館は美術的価値を持たないこれらの展示物を「物質的文化」を伝えるものであるとし、教育的利用に重きを置いている。来館者の大部分が学校団体であることもそれを裏付ける。しかし、展示の大部分が1952年の開館当初のままで、当時「先進的」とされていた展示備品(その多くが「古代ローマ性展」に由来する)が、古めかしく映る。また、あからさまなファシズム期の時代性をまとったものもあるが、解説パネルにも特に言及されることはなく(注13)、違和感を禁じ得ない。一例を挙げるなら、第XV室「キリスト教」展示室の黒い十字架〔図4〕は、「古代ローマ性展」会場でも石棺の脇に展示されており、初期キリスト教のバシリカの形状を模したという展示室の性格付けのために用いているとの説明では、あまりに来館者の心証に対する配慮を欠いている。建物にはファシズムを礼賛する部分を削り落とす修正が加えられたのに対し、展示については特に検閲がなかったようにみえるのは、展示を補完するものとして「教育的・学術的」であることが隠れ蓑になったこと、また、開館当初に同じ時代性を共有していたために見落とされたと考えられる。展示内容については、ローマ時代の栄光を見せることに今も昔も変わりなく、異民族の侵略については多少の言及があるものの、ローマの滅亡についての言及がないのは、ムッソリーニもまたその部分については目をつぶりたかったからではないか、との指摘(注14)もあるが、当面はこの内容が維持されるという。尤も、ムッソリーニにとって、ローマ万博では、企業に出資を要請したローマ文明館よりもいっそう力を注いでいた展示施設がほかにあり、これについては後述する。2.民俗伝統博物館 Museo Nazionale delle Arti e Tradizioni Popolari現在は、民衆民族人類学研究所 Istituto Centrale per la Demoetnoantropologiaという機― 322 ―

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