Museo Nazionale Preistorico Etnografico “Luigi Pigorini”エウルのミュージアムの中で唯一個人名を冠する、国立の施設である。コレクションを形成した先史民族学者のルイジ・ピゴリーニ Luigi Pigorini(1842−1925)を顕彰するもので、前身は1875年にイエズス会のローマ神学校に創られ、曲折を経て1962年から77年にかけてこの建物に移ってきている。ピゴリーニは、当時支配的だった進歩主義史観に則り、「イタリアの先史」と「非西洋の民族」とを同等とみなす考えの下、収集と調査研究を進めていたため、その遺産は博物館に長い間どっちつかずのアイデンティティを与えていた。3.ルイジ・ピゴリーニ先史民族博物館一方で科学館は、ローマ万博の科学一般 Scienza Universaleの展示と銘打っており、自然科学からそれらの産業技術への応用まで多岐にわたる展示は、その実、統一して間もない国家の持つ力を科学の歴史と最先端の産業技術によって表すことを主眼としていた。企業の出資による建設が目指されていたのもそのためである。そのため、この建物には科学の歴史とその応用に関する装飾がそこかしこに見られる。《科学の技術的応用》や《ガリレオの学堂》と題された壁画が入口ホールに、階段ホールには《天文学の諸相》を表すステンドグラスが、特別展示を行なう大広間の床には《科学に関する装飾》が象嵌細工で施されている。これほどまでに科学の殿堂を謳うハコの中で、イタリアの先史時代とアフリカ・オセアニア・両アメリカの民族学展示が展開されている現状では、建物と中身がそぐわない印象を強く受ける。コレクションの内容と展示空間の齟齬との二重の足かせをはめられているといってよい。4.初期中世博物館 Museo dell’Alto Medioevo現在、ピゴリーニ先史・民族学博物館に隣接して(ただし入口は別)科学館の中に居場所を見つけている当館の展示の前半部には、4世紀から14世紀にかけてのイタリア各地の遺跡の発掘品が並べられ、一見、ローマ時代をはじめとするイタリアの輝かしい歴史とは相を異にする文化遺産がひっそりと展示されているような印象を受ける。後半は、がらりと変わって解説パネルや映像を駆使して1940年代にオスティアで発見されたローマ時代のモザイク技法の一種、オプス・セクティーレ Opus Sectileが展覧される。2005年に実現されたこの展示は、エウルのほかのミュージアムでは見られない、新しく効果的な照明をドラマティックに用いて、ポルタ・マリーナの発掘現場から移されたモザイク片により、実寸大の広間が復元されている(注19)。1993年に出版されたガイドの序文によると、「二大大戦間の長期にわたる中断の末、― 324 ―
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