鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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注⑴『百年史 京都市立芸術大学』、京都市立芸術大学、1981年、125頁。⑵「京都市立画学校」『京都日出新聞』、1890年2月21日、2面。⑶「疎水工事の写景」『京都日出新聞』、1886年12月28日、2面。⑷阿形精一編『京都新古美術会品目』、池田八郎兵衛出版、1887年。⑸「霊山招魂祭の準備」『京都日出新聞』、1888年10月12日、3面。⑹「震災救恤幻燈会」『京都日出新聞』、1891年11月6日、2面。⑺「写真品評会」『京都日出新聞』、1894年3月25日、1面。⑻『京都洋画の開祖にして真言宗の画僧 月樵道人・田村宗立』、星野画廊、2009年6月、60頁参照。田村のパノラマ画については「パノラマ館の新築」『京都日出新聞』、1894年12月25日、4面、「パノラマ館」『京都日出新聞』、1895年2月15日、4面にも記載されている。おわりに紙幅に制限があるため、本稿では浅井忠が京都に在住した明治35年(1902)から明治40年(1907)の動向は既に研究の蓄積があることからあえて割愛した。前後の期間における洋画家の動きを明らかにする方を重視したためである。明治期以降京都では、石版や写真等の複製メディアを含め、常に洋画家の活動が展開されていた。本研究で明らかとなった内容をふまえつつ、今後は個別の画家や作品について取り組んでいきたい。⑼「石版印刷業開店広告」『京都日出新聞』、1888年10月14日、4頁。同月20日、11月2日、7日にも同じ広告が掲載されている。⑽「煥美協会と美術叢誌」『京都日出新聞』、1888年11月22日、3面。⑾『美術』2号、博成社、1889年3月、49頁。⑿塚原晃「写真と石版〜川上冬崖と小山三造の業績を中心に〜」『描かれた明治ニッポン〜石版画〔リトグラフ〕の時代〜解説図録〈研究編〉』、描かれた明治ニッポン展実行委員会、2002年、49〜61頁参照。⒀小山三造「石版■京名所額画」の調査にあたって、丹尾安典氏、山﨑純夫氏にご協力頂いた。⒁「社員旅行 弊社の久保田米僊は美術探究の為来十五日発途仏国へ渡航す」(「雑報」『美術』1号、博成社、1889年2月、16頁)、「画家の洋行 本社の久保田米僊は仏国の万国博覧会を兼ね欧米漫遊のため既に出発せしが」(『美術』2号、博成社、1889年3月、48頁)⒂『美術叢誌』1号、煥美協会、1888年11月。⒃聚英館疋田石版所の広告は『美術叢誌』1号、煥美協会、26頁、1888年11月、『京都日出新聞』、⒄「工芸画学講習所」『京都日出新聞』、1887年2月1日、2面、「工芸画学講習所」『京都日出新聞』1888年10月10日、4面、『京都日出新聞』、1891年12月25日、4面に掲載されている。1887年3月5日、3面。⒅4月に京都の有楽館で開催された三輪幸之助追善の油絵展覧会(「油絵展覧会」『京都日出新聞』、1892年4月9日、2面、17日、1面)と6月に大阪の博物場で開催された洋画展覧会(「洋画展覧会漫評」『大阪毎日新聞』、1892年6月22日〜7月7日)― 338 ―

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