鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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⒆第一次関西美術会の詳細については確かな資料がないが、第二次関西美術会については1896年6月17日の大阪朝日新聞に、同年6月14日に大阪の浄久寺で初回の展覧会が開催された記事が掲載されている。⒇中村は1892年の三輪幸之助追善の油絵展覧会、1893年の新古美術工芸展覧会、1895年の第四回内国勧業博覧会に出品している。 黒田天外「永源寺に遊ぶ」『京都日出新聞』、1899年11月12日、5面、14日、5面、15日、5面、 金子静枝「洛西四分一めぐり」『京都日出新聞』1901年10月20日〜11月1日。 「渓声録(十九)」『京都日出新聞』1900年12月4日、4面。 「海苔柴」『京都日出新聞』1901年5月16日、4面。 「たちばな」『京都日出新聞』1901年6月6日、2面、徳永鶴泉「西洋美術談」『京都日出新聞』、 「関西美術会」『大阪毎日新聞』1901年6月12日、6月17日、「よみうり抄」『読売新聞』1901年6月20日、1面、「泰西絵画展覧会」『絵画叢誌』、1901年7月、3頁、「美術界近時」『日本美術』、日本美術院、1901年7月、36頁。 「関西美術会発会式」『京都日出新聞』1901年6月17日、1面、「関西美術会成ル」『京都美術協会雑誌』108号、京都美術協会事務所、1901年6月、24〜29頁。 「山元春挙氏は彩筆を揮つて薔薇の油絵を試ろみ竹内棲鳳氏之に黄蝶を添へ」(前掲「関西美術会発会式」、「関西美術会成ル」) 筆跡については伊藤快忠氏のご教示による。 「関西美術会の批評会」『京都美術協会雑誌』112号、京都美術協会事務所、1901年10月、17〜 鹿子木は1904年、河合は1910年、寺松は1906年に京都に移り住んでいる。 「美術工芸」『京都日出新聞』1911年5月17日、2面。 「美術工芸」『京都日出新聞』1911年4月17日、1面。 島田康寛編『近代の美術49 明治の京都洋画』、至文堂、1978年11月、94頁参照。 「美術工芸」『京都日出新聞』1912年5月25日、1面。 黒田重太郎『改訂版 京都洋画の黎明期』、山崎書店、2006年12月、159〜161頁参照。16日、5面、17日、5面。1901年6月9日、4面等。18頁、「連合展覧会の開会」『京都日出新聞』1901年11月1日、2面。― 339 ―

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