鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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研 究 者:彦根城博物館 学芸員  茨 木 恵 美1 はじめに二十四孝とは、中国の代表的な孝子二十四人の説話を集めた、孝子説話集の一つである。中国における孝子説話の誕生は早く、漢時代に編纂されたとされる説話集が伝えられる他、この時代の「武梁祠画像石」にはすでに絵画化された例があり、その絵画化もかなり早い段階で行われていたことがうかがえる。中国では孝道精神高揚のため様々な「孝子伝」が編まれたが、その中で後世まで最も大きな影響を与えたのが『全相二十四詩選』(以下『詩選』)である。元の郭居敬が、様々な孝子説話の中から二十四説話を撰び整理したもので、説話、五言絶句に加え図が付されている。本書は南北朝期には日本にも渡来し、お伽草子「二十四孝」の典拠となった他、以後、日本における二十四孝の標準テキストとして多大な影響を与えた(注1)。日本における二十四孝図の絵画化は室町時代より始められており(注2)、その絵画化にあたっては、渡来の絵入版本が典拠となった可能性が指摘されているが(注3)、明確な典拠となる版本は未だ確認されていない。二十四孝図の図様の成立期にあたる室町時代末期から江戸時代初期においては、主に狩野派が屏風、障壁画を中心にこの画題を手掛けたことが文献、現存作例から確認される。その中で押絵貼形式の二十四孝図は、各扇の画面が版本の挿図を上下に繋いだと思われる古様な形式を持つことから、二十四孝図の原型であるとの指摘があるが(注4)、個々の作例に即した具体的な分析、検討はまだなされていない。よって本研究では、特に押絵貼形式の作例に注目し、それぞれの図様について考察を行う。これまで十分に注目されてこなかった押絵貼形式の作例を紹介し、まずは二十四孝図研究の俎上に載せたい。2 押絵貼形式作例の概要現存する屏風や障壁画の二十四孝図のうち、押絵貼形式の作例は、画面に複数の説話を適宜配置して描く大画面形式に比べ、その数は少ない。現在、確認されるのは屏風二例、粉本二例、模本一例、文献一例の計六例である。この中で制作年代が最も遡り、二十四孝図の図様成立期に描かれたと考えられるのが、栃木県立博物館所蔵の伝狩野雅楽助筆「二十四孝図屏風」(紙本墨画淡彩、六曲一双、以下栃木県博本)〔図1〕である(注5)。押絵貼の各扇を上下に分けて二図が― 342 ― 二十四孝図研究─押絵貼形式を手がかりに─

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