鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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3 押絵貼形式の図様比較の内、「弐(二)拾四枚之内」「尾形主」と画中墨書のある二十点と、尾形家の弟子であった宮脇竹次郎が写したことが画中墨書からわかる「弐(二)拾(十)四枚之内」と記された二十四点は、それぞれが一組の粉本であったと考えられる。ここでは仮に、前者を尾形家A本、後者を尾形家B本と称する(注9)。A本とB本の図様は細部まで一致しており、A本にはない四図もB本と同じ図様であったと推定される。両者がどの程度の間隔をもって制作されたのかは不明だが、ここに描かれた図様が尾形家において二十四孝図の図様として引き継がれていたこと、また複数回粉本が制作されるだけの需要のある画題であったことが分かる。また、『増訂古画備考』巻四六には、「廿四孝狩野家拾二人寄合書」(以下古画備考本)に関する記述がある。狩野孝信をはじめとする十二人の絵師による六曲一双屏風の合作で、一人の絵師が一扇を担当して二図を描き、各図には賛も付されていた。この賛から採択された説話を知ることができる。各扇に二図を描く形式は栃木県博本や長谷川家本と共通し、この「廿四孝狩野家拾二人寄合書」もおそらく押絵貼形式の作例だったと考えられる。無落款の扇もあり、制作時期を特定することはできないが、孝信が筆をとっていることから考えて、その没年である一六一八年以前、十七世紀初め頃が目安となろう。以上が、現在確認できる押絵貼形式の二十四孝図である。これらの作例と、主要な大画面形式、扇面、版本に採録された説話についてまとめたのが〔表1〕である。採録される説話の大部分が『詩選』のものであり、その影響の大きさがうかがえ、それ以外の説話についても、『孝行録』『日記故事』『三綱実録』といった渡来版本がその典拠として影響を与えたことが指摘されている(注10)。押絵貼形式についても採録説話はほとんどが『詩選』と共通し、その影響が大きいことが分かるが、加えて嵯峨本の他、扇面画の作例ともその多くが共通する。以上に述べた押絵貼形式の作例について、最も制作年の遡る栃木県博本を中心に各図の比較を行った。押絵貼形式の他、慶長年間の刊行と推定され、挿絵筆者が狩野派の絵師との指摘がある嵯峨本「二十四孝」(注11)、渡来版本の『詩選』(注12)とも比較を行った〔表2〕。以下、いくつかの説話を取り上げその図様について検討する。・大舜大舜図では、大舜、二頭の象、小鳥が画面を構成する主要モチーフである(注13)。― 344 ―

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