見の限り見当たらない。丁蘭の説話に付される詩には「刻木為父母」とあるが、嵯峨本の本文では母の木像をつくるとのみあり、父親の像については言及していない。しかし、『詩選』には「丁蘭父母死思慕骨肉乃刻木為」とあり、その挿絵でも両親の像とその前に立つ丁蘭が描かれている。京都芸大本の両親の像を描く図様は、この『詩選』の記述に従ったものであると考えられる。・孟宗押絵貼形式をはじめ他の二十四孝図においても、そのほとんどが「孟宗が雪の中で筍を見つける」場面を描く。栃木県博本〔図4〕、長谷川家本、尾形家B本〔図5〕も同様で、画面右側に雪の中で筍を見つけた孟宗を左向きに配し、孟宗の前に三本の筍が描かれる。これらはほぼ同じ構図であるが、栃木県博本と長谷川家本では孟宗の背中側、尾形絵家B本は孟宗の左側に竹林が配されている。嵯峨本は画面左手前に鍬を持って筍を掘りだそうとする孟宗、その背後に竹林が表され、栃木県博本などとはやや異なる図様となっている。これらが典型的な孟宗が筍を見つけた場面を描くのに対して、京都芸大本〔図6〕は画面左の竹林に立った孟宗が、竹にすがって泣きながら天に祈る場面が描かれている。他の日本で描かれた二十四孝図作例を見ても、この場面を描く作例は確認されない。母利司朗氏が詳細に検討されているように(注14)、孟宗図は『詩選』〔図7〕や『日記故事』、『君臣故事』、『三綱実録』といった舶載本では、いずれも竹に取りつき筍があらんことを天に祈る姿であったものが、日本では三本の筍を見つけた孟宗という図様へと和様化し、これが典型として流布した。京都芸大本の孟宗図は、和様化された図様ではなくこれらの舶載本の図様に則ったものと考えられる。・姜詩栃木県博本、長谷川家本、A本、B本は画面右に建物と室内に座す母親、その前に立って器を奉げ持つ姜詩、その背中側の河のほとりに膝をつく妻という構図がほぼ一致する。嵯峨本はこれを左右反転した構図であり、この配置は『詩選』のものと近い。これらに対して京都芸大本は、画面左に建物を配し、その室内に母親、その右斜め前に水の入った器を奉げ持つ妻、姜詩は二人に背を向けて建物の外に立ち、天を見上げる画面となっている。これもやはり他の二十四孝図には見られない図様である。― 346 ―
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