鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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・王裒王裒図では、「王裒の母は雷を嫌ったので、その死後も雷があると墓に行って、母に力を添えた」という、場面が絵画化される。〔表1〕で示したように、二十四孝図においてこの説話を描くのは押絵貼形式の栃木県博本、長谷川家本、尾形家A本、尾形家B本と、嵯峨本、直庵印「二十四孝図扇面屏風」(注16)のみで、他では選択されていない。栃木県博本をはじめるとする押絵貼形式〔図8〕では、画面左下に母の墓の前で祈る王裒、その右斜め上には雲に乗って駆けてくる雷神が描かれており、嵯峨本も同様の構図〔図9〕でこの場面が表されている。長谷川家本、尾形家A本、B本は、栃木県博本とほぼ同じ画面であるが、直庵印「二十四孝図扇面屏風」の王裒図では、墓と王裒のみが描かれ雷神の姿はない。栃木県博本と嵯峨本は墓の形は違うが構図はほぼ同じで、手に撥を持ち、太鼓を周囲に巡らした雷神の図様も共通し、両者が同じ系統の図様によっているものと想定されるが、慶応義塾大学斯道文庫に所蔵される『詩選』(注17)の挿絵付き写本の王裒図には、母親の墓の上に手に撥を持った雷神かと思われる姿が描かれており、雷の表現として雷神を描くという図様自体は渡来版本に則ったものと考えられる。4 押絵貼形式作例の特徴および今後の課題以上の比較を通して、押絵貼形式について次のことが指摘できる。まず〔表2〕からも明らかなように、栃木県博本、長谷川家本、尾形家A本、B本は、同じ図様を引き継いだ同系統の作例といえる。特に長谷川家本は樹木の枝振り、添景として配置される岩の位置まで栃木県博本と共通し、その写し、あるいは忠実な写しを原本に制作されたと考えてよい作例である。但し、栃木県博本では総髪の童子が長谷川家本では結髪になるなど、人物に関しては変更がなされている。これに対して尾形家A本、B本は、建物の省略や樹木の位置の変更、背景に滝を追加して描くなど、画面構成に違いのみられるものが多く、長谷川家本のように栃木県博本が直接の祖本となったのではなく、複数の段階を経て伝わった図様が受け継がれたものと考えられる。栃木県博本がこれらの原本であるのか、さらにその原本といえる作例があったのかは現段階では不明だが、室町時代に描かれた図様が、江戸時代にもほぼ忠実に受け継がれていることを考えると、この図様は押絵貼形式の二十四孝図における一つの典型であったと考えられよう。これに対して京都芸大本は、押絵貼形式のみならず、他の二十四孝図には見られない図様が多く、他に類例のない作品である。但し、渡来版本である『詩選』と共通す― 347 ―

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