⑷前掲注⑶武田氏論文。また、二十四孝図については主に以下を参考にした。前掲注⑶松尾氏、稲畑氏論文。中本大「永禄九年の二つの「二十四孝」賛─初期狩野派「二十四孝図屏風」賛を中心に・『鏤氷集』の世界Ⅰ─」『語文』68号、1997年。渡邉雄二「聚光院方丈障壁画を語る文脈」『美術研究』396号、2008年。⑸栃木県立博物館「狩野派─四〇〇年の栄華─」図録、2009年。⑹前掲注⑶松尾氏論文。⑺各図の大きさは、縦が61〜63センチ程度、横が45センチ程度で、押絵貼屏風の原寸に近いサイズとなっている。⑻『尾形家絵画資料目録』福岡県文化会館、1985年。⑼A本は、注⑻前掲書の掲載番号1312〜1322、1397〜1403、1415〜1417、1424、1708、B本は1512〜1534、1818である。1818には、「明和七年寅年八月 弐十四枚之内/宮脇氏主」と書き入れがあり、B本は明和七年(1770)に書写されたものとわかる。⑽前掲注⑶松尾氏論文。⑾川崎博「研究資料 嵯峨本『二十四孝』の挿絵筆者について(上)(下)」『国華』第1238号、第1240号、1998年、1999年。同「研究資料 嵯峨本『伊勢物語』の挿絵筆者について」『国華』第1258号、2001年。寺田瑞木「江戸初期の二十四孝図─嵯峨本『二十四孝』と渋川版『御伽文庫』「二十四孝」における図像の成立関係」『浮世絵芸術』147号、2004年。⑿『詩選』およびその挿図については、主に以下の研究に拠った。橋本草子「全相二十四孝詩選」と郭巨敬─二十四孝図研究ノート その一─」『人文論叢』第43号、京都女子大学、1995年。同「『孝行録』と『全相二十四孝詩選』所収説話の比較─二十四孝図研究ノート その二─」『人文論叢』第44号、京都女子大学、1996年。同「『全相二十四孝詩選』と郭居敬(承前)─二十四孝図研究ノート その四─」『人文論叢』第55号、京都女子大学、2007年。前掲注⑾寺田氏論文。⒀植松有希「二十四孝「大舜」図についての一考察─岩井江雲筆『白象図』の図像的位置づけと制作事情を中心に─」『長崎歴史文化博物館研究紀要』第2号、2007年。⒁母利司朗「竹の子三本雪の中─孝子孟宗譚の日本的展開─」『国文学研究資料館紀要』12号、国文学研究資料館、1986年。⒂徳田武「日中文化交流史の中で 二十四孝挿絵の展開─呉猛の煙─」『国文学 解釈と教材の研究』42⑾、学灯社、1997年。⒃中村渓男「二十四孝図扇面屏風について」『MUSEUM』113号、1960年。⒄橋本草子「慶応義塾大学斯道文庫蔵写本「廿四孝詩」について」『人文論叢』第56号、京都女子大学、2008年。⒅相見香雨「京狩野三代記」『旬刊美術新報』47号、1942年。川本桂子「帝鑑図屏風」解説『新編名宝日本の美術 第21巻 友松・山楽』小学館、1991年。杉原たく哉「狩野山雪筆歴聖大儒像について」『美術史研究』30号、1992年。本稿を執筆するにあたり、御所蔵者の方々をはじめ、栃木県立博物館・本田諭氏、山形美術館・月本寿彦氏、京都市立芸術大学芸術資料館・松尾芳樹氏、福岡県立美術館・魚里洋一氏より御高配を賜りました。この場をお借りしてお礼を申し上げます。― 349 ―
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