た俳書の挿絵類〔図6〕で記されているのも「芳中寫之」がほとんどである。『光琳画譜』もそうであるし、《許由巣父・蝦蟇鐵拐図屏風》や《白梅小禽図屏風》(〔図7〕細見美術館蔵)といった大画面作品にも用いられているほか、絹本著色作品にも多く見られる。ただ、その書体は扇面の「芳」のような癖はなく、また「中」の字の「口」も膨らみも持たせていない。俳書の挿絵での字は太く均一な線であるのに対し、《許由巣父・蝦蟇鐵拐図屏風》 などにおいてはさらに細く切れのある字で書かれる。こうしたことから、「芳中寫之」は芳中には最も多くみられる款記であるが、作品の画趣によって書き方を変えていたということになる。款記のより細かい整理も今後必要となるであろう。また、今回は扇面の中でも芳中のいわゆる「光琳風」の扇面画を中心に取り上げたが、少ないながらも俳画や淡彩の作例もあり、それらは光琳風との描き分けという点で注目できる。芳中=光琳風というだけで留まってはいなかった芳中の意識をも示している。なお、今回はプライスコレクションの《扇面散屏風》については分類を保留とした。江戸琳派の鈴木其一が屏風に仕立てる際のアレンジ等を行ったとされる作品であるが、芳中画とされる扇面には「芳中冩之」と記され、印文不明朱文方印のほか、「芳中」朱文長方印、白文長方印が押される。描写も緻密でたらし込みはほとんど見られず、彩色も鮮やかであり、他の扇面の例とは明らかに異なる表現を取るものである。ただ、先に述べた「芳中冩之」の款記を持つこの扇面については、なお慎重に考える必要があると認識している。最後に、芳中の扇面画に先行するものとして注目されているのが、江戸中期の立林何巾の扇面画である(注12)。画題や描法などにおいて、何らかの影響を芳中に与えたとも推測でき、芳中の扇面画への傾倒、芳中の光琳風作品への過程、江戸における『光琳画譜』刊行の背景などについて考えるためのヒントと成り得よう。他の絵師と比較しても扇面画が圧倒的に多い芳中であるが、このことが意味するのは、「光琳風」という看板を掲げた芳中の作品で、最も光琳的なものとして扇面画が注目され、手軽に風情のあるものとして好まれていたことが見えてくる。おそらく揃いものとして制作され、屏風や画帖に仕立てられ愛好されたのだろう。芳中の画風展開について考える拠り所と成り得る扇面画の分類結果については、今後も修正を加えながら、扇面以外の作例と併せて考察することによって、芳中の全体像の把握につなげていけるよう努めたい。― 359 ―
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