個人の自由は、流派の束縛に耐へ切れず、交通の利便は、容易に一方に偏することを許さぬ。茲に於てか、現代の美術家は、先づ己を自覚せねばならぬ」(注7)と、自我に目覚めた知識人としての美術家の役割を説いた。こうした黒田や岩村の薫陶を受け、折からの白樺派に始まる近代自我の目覚めの中で、既存の概念や制度を批判する自由人的な美術家気質というものが美術学生達の間に培われていった。一方で、大正期の観衆の成立や大衆芸術の隆盛といった美術環境の変容や、従軍画家や商業美術家の登場といった美術家の社会的地位の多様化は、大衆と美術の関係性あるいは美術家の社会的役割の議論を呼んだ。「広く芸術全般の運命に関する大問題を解決し、広く芸術家共通の利益を保護し、社会に於ける芸術の功徳を普及」(注8)することを設立趣旨に掲げ、ジャンルや芸術主義を超越した、美術家の対社会的利害と役割の追求を目指した国民美術協会が設立されたのは、大正2年(1913)のことである。だが、1930年代のナショナリズムの台頭は、美術家の意識を国家の枠組みへと向かわせ、自由主義、個性主義的な美術家像は変化していった。一般に集団とは、ある共通の目的を持ち、相互に依存関係を持つ人の集まりのことである。例えば、明治10年代後半以来の国粋主義的風潮化に不遇を託った洋風美術家が大同団結することで洋風美術の新たな活動拠点を形成することを目的にわが国初の洋風美術団体である明治美術会が設立されたように、美術家にとって集団化は、自己の美術の実現を目指して、技術研鑽や制作発表をより円滑にする一つの有効な手段であった。明治期の洋画、日本画、彫刻における主要な美術団体の形成の経緯を概観すると、美術ジャンルによって時期の差異はあるものの、美術学校の設立や官立展覧会の開催といった美術の制度化の動向を契機に団体結成の動きが活発化する傾向にあると指摘できる。これは、美術の環境が整えられていくことで、既存美術制度への反発や新しい美術思潮への期待といったように、美術に関わる問題意識や目的意識が顕在化する第2章 集団形成による「美術家」アイデンティティーの確立1.美術団体の変遷第1章で概観したように、明治期における美術に関する制度の整備や、用語概念の成立と変化は、美術家の自己認識の成立に大きく影響した。自らを言葉によって定義し、博覧会や美術学校といった制度を通して社会の中に位置づけることが可能になったからである。その中で、美術団体の形成もまた、美術家のアイデンティティーの確立に大きな役割を果たした。― 27 ―
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