注⑴文化10年(1813)に刊行された俳諧人名鑑『万家人名録』には芳中の自画像らしきものと、「そろりそろりそこのかされし初さくら 芳中」という句と「中村氏号達々倣光琳筆意能丹青嘗好四弦居于浪華平野町難波橋角」と紹介され、この時点で光琳風の絵を描くことで知られていたことがわかる。【附記】(前掲注⑶)より複写いたしました。⑵江戸の俳人、梅夫が信州の成澤雲帯にあてた書簡(文化二年十二月五日付)に「光琳風画家大坂芳中帰郷にて大かた大坂迄同道いたし候半と奉存候」と記される(矢羽勝幸『日本書誌学大系74 書簡による近世後期俳諧の研究─『俳人の手紙』正続編注解─』青裳堂書店、平成9年)ことから、当時芳中は少なくとも俳人の間では「光琳風」の「画家」として認識されていたとわかる。⑶木村重圭『中村芳中画集』フジアート出版、平成3年。⑷木村重圭「中村芳中について」(前掲注⑶)。氏はこの中で芳中の画業を4期に分け、『光琳画譜』出版の享和2年(1802)あたりから扇面画の世界へと移行、最晩年では扇面画が中心だったと述べておられる。時を経るに従い、たらし込みを多用するに至ったとされる。⑸四季草花図扇面貼交屏風(石橋財団石橋美術館)には、10面ずつ2種の扇面計20面が貼られているほか、2曲1隻扇面貼交屏風(前掲注⑶、図版No.4)にもサイズの異なる扇面が認められる。認められる。⑺前掲注⑷。⑻白百合図扇面については、どれも左下から右上へ斜めに茎を描き、左右両側へ花をたらす構図をとっているが、ほぼ同じ図様が酒井抱一による『光琳百図』に掲載されている〔図4−⑤〕。ほか梅図についても同じ枝振りの扇面が『光琳百図』に見出せることを指摘しておきたい。⑼亀図・鶴図・六歌仙図・梅図・高砂図・鳩に雀図・目隠し鬼図・鹿図・官人渡橋図・菊図・落雁図・大原女図・波に千鳥図・恵比寿大黒にお福図・芙蓉図・蝦蟇鐵拐図・蒲公英に竜胆図・子犬図・渡船図・立葵図・鼠図・竹林七賢図・富士図・仕舞図・鶏頭に朝顔図が収められる。⑽ただし、出光美術館蔵《波に千鳥図扇面》については、波の形態が全く異なり、『光琳画譜』では渦を巻いて描くのに対し、飛沫をあげて波立つ様子で描かれる。⑾拙稿「中村芳中と戯画」(『平成18〜19年度科学研究費助成金 基盤研究(C)研究成果報告書、平成20年』)において、『光琳画譜』と同じ図様で挿絵を描いた逸人編『虫の声』(文化11年)を紹介した。⑿小林忠『日本の美術463 酒井抱一と江戸琳派の美学』至文堂、平成16年。松尾知子「立林何巾筆 扇面貼交屏風」『国華』1343、平成19年9月37−39頁。⑹6曲1双扇面貼付屏風(旧萬野美術館)には、桔梗図、鶏頭図、芥子図が各2面、菊図3面が本稿に関わる作品調査につきましては、各ご所蔵者様、各ご所蔵館の担当者様にご高配を賜りました。伏して御礼申し上げます。なお、掲載写真につきましては、実見できなかったものについては、『中村芳中画集』― 360 ―
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