鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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研 究 者:東京文化財研究所 主任研究員  江 村 知 子はじめに日本絵画史において時代の転換期と言える時期がいくつかある。政治や社会の変動につれて、表現技法が大きく進展したり、絵画様式や受容形態が変化したり、さまざまな変動と革新の中で絵画表現は展開してきた。この意味で尾形光琳の活躍時期とその作品も、絵画史の一転換期に位置づけられると思われる。大規模な障壁画や風俗画が数多く制作された17世紀前半から、伊藤若冲や円山応挙といった絵師個人が際立ってくる18世紀中期以降とを概観してみると、光琳以前と以後では絵画表現の形態が変容していると言える。光琳はその絵画制作において俵屋宗達から大きな影響を受けていること、またその光琳の作品が渡辺始興、さらには酒井抱一などの絵師に影響を及ぼしていることは明らかである。しかしながら宗達作品のなかに中世的気風が強く認められる一方で、始興や抱一の作品にはそうしたものが全く看取されず、光琳というフィルターを通して宗達的なものが漉し取られているとも言える。もちろん時代による表現の移り変わりや広く社会全体の変化にも連動して江戸時代後期の絵画表現は形成されているが、光琳作品の画題とその表現についての考察を行い、その特質を相対的にとらえることは、光琳研究のみならず、江戸絵画全体をとらえる視座を提供してくれるのである。光琳の手がけた主題には、草花、花鳥、歌絵、物語人物、道釈人物など多岐にわたり、かつその画風も宗達に倣ったもの、漢画的筆法を応用したものなど多様である。そのなかから本稿では古典主題の人物図、特に歌仙絵について考察を行う。17世紀以降、伊勢物語や源氏物語など王朝文学にまつわる物語図は、宗達のみならず狩野派や土佐派の数多くの絵師によって盛んに制作されているが、光琳が制作活動を行っていた社会の文化的傾向や光琳の社会的立場に鑑みると、光琳の古典主題作品制作には、絵師としての明確な戦略が関わっていると推測される。光琳が絵画制作を行っていた当時、共時的空間の中でその作品がどのように生まれ、鑑賞され、後世に影響を及ぼしたか、という視点から具体的な作品考察を行いたい。1.光琳の絵師としての活動開始─歌仙図画稿を中心に数多くの先行研究により、光琳の伝記や人となりが明らかにされてきた。一般的には、光琳が30歳の時に父が亡くなり、莫大な遺産を相続するも放蕩によって数年で使― 364 ― 光琳作品における古典主題

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