鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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注⑴ 山根有三『光琳研究』一・二、中央公論美術出版、1995年・1997年ほか、光琳の参考文献は『琳⑶ 二条家には狩野永納・永敬、山本宗川、土佐光芳らの絵師が出入りしていたことが五十嵐公一氏の研究によって明らかになっている。五十嵐公一「二条綱平周辺の画家たち」『塵界』13、2002年、および同「狩野永納と二条家」『美術史論叢』21、2005年を参照。同氏のご論考は『近世京都画壇のネットワーク─注文主と絵師』吉川弘文館、2010年にまとめられている。⑵ 神通せつ子「光琳関係資料─二條家内々御番所日次記抄録─」および山根有三「光琳関係資料⑷ 『雁金屋女御和子御用呉服書上帳』京都国立博物館蔵、山根有三『小西家旧蔵光琳関係資料とり、数多くの作品が現存している(注15)。メナード美術館に所蔵される「三十六歌仙図屏風」は「伊亮」朱文円印を有し、署名はなく、その描線・彩色の状態から山根有三氏によって光琳真筆であることについては疑問が呈されてもいる(注16)。しかしながらすぐれた構図と革新的な諧謔味に富む人物描写から、多くの追随を促したことが頷ける作品である。歌仙絵と言えば、一人一人の歌人を規定された形式の中に描かれていたものを、こうした自由な発想に富む群像表現として表したことは、近世の大和絵人物画の一つの展開として興味深い作例と言える。上述のように伝統の図様を踏まえて、時代の好みに合う表現や独自の改変を加えながら歌仙絵を手がけていた光琳が、こうした画題表現の発想や構図に関わっていた可能性は高いと思われる。「三十六歌仙図屏風」の具体的な表現の考察については稿を改めて論じることとしたいが、先にふれたような作品制作状況についても十分に考慮した上で検討する必要があろう。おわりに本稿では歌仙絵を中心に、光琳の古典主題作品の一展開を考察した。光琳の作品には、伝統的で規範性の強い主題であっても、それを見る人々に新たな鑑賞の境地を与えるような表現手法が用いられていると見ることができる。光琳の道釈人物画などにもこうした傾向は強く認められるが、今回取り上げた古典文学にまつわる主題については、さらにその画題選択において、光琳が絵師としての活動を効率よく開始し、そして絵師としての立場を向上させることを意図した可能性についても指摘した。さらに作品についての詳細な観察とともに、画稿やその他の資料によって補完しながら明らかになることも多いと思われる。今後の課題としたい。派』五・別冊、紫紅社、1992年等を参照。─二條綱平公記抄録─」『大和文華』33、1960年を参照。その研究 資料』中央公論美術出版、1962年にNo. 41として翻刻されている。― 369 ―

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