まず、①〜④はライデン本系のみにみられる文章である。①は玄宗が方士に楊貴妃の魂魄を捜させるという、「長恨歌序」を読み下したものである(注10)。この「長恨歌序」には、「長恨歌」の詩句の内容とは明らかに相違する点が二点ある。一つは、玄宗と楊貴妃の前世と夫婦になった由来が語られていること、もう一つは、方士が楊貴妃の差し出した「鈿合金釵」の証拠としての効果に疑いを持ち、玄宗との「密契」の言葉を楊貴妃から聞き出したことである(注11)。これらは「長恨歌」理解に不可欠のものとして、とくに冒頭に掲げられていたという(注12)。②は、玄宗が楊貴妃に溺れ、政務を疎かにしたために世が乱れたことを記述することにより、作者はこの文章の創作意図が「勧戒」であることを明らかにしている。③、④は、玄宗が善政を行う名君であったことが語られている。つぎにライデン本系⑤〜⑩のうち⑦の楊貴妃一門の繁栄を除いては、大谷本系と大筋で共通する逸話である。ただし、ライデン本⑤、⑥では、元献皇后、武淑妃の二人の寵姫が相次いで死亡したため、玄宗は新たに妃となった楊貴妃を伴って驪山宮の温泉に行幸するという、『旧唐書』『新唐書』の史実を踏まえた記述であることがわかる。それに対して、大谷本系のア、イでは、二人の后の寵愛が衰えた結果、玄宗が驪山宮の温泉で楊貴妃を見初めて寵姫とするというもので、大谷本系では、玄宗は女性を追い求める好色な性格として位置づけられている。最後にライデン本系⑪、大谷本系カでは、「長恨歌」の制作意図を「勧戒」であると述べているが、両者の内容には明確な相違がある。ライデン本系は、『長恨歌伝』の作者陳鴻の言葉を用いて、「らんかい(乱階)を窒(ふさ)ぎ、将来にのこさんと思ふ」とあり、安禄山よりも楊貴妃の兄である楊国忠を安史の乱を引き起こした元凶の人物として描いていると指摘している(注13)。このようにライデン本系が②と⑪で二度にわたり、外戚の専横によっておこる政治的混乱を強調しているのに対して、大谷本のカでは「唐のみかどの淫乱なる事をいましめ」とあり、玄宗が女色にふけったために国が乱れたとして、君主の好色を強く戒める内容となっている。以上のようにライデン本系、大谷本系ともにテクストの文言を見る限りでは、その対象が楊貴妃とその一族に対してと、玄宗個人に対してとの違いはあるものの、諷喩あるいは勧戒の物語として読ませる意図が感じられるのである。言い換えれば、古代の「亭子院の長恨歌屏風」のように貴族の嗜好に適った文学的情趣あふれる悲恋物語として、詩「長恨歌」を享受してきた伝統を奈良絵の「長恨歌図」に見出すことは難しいだろう。― 376 ―
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